見出し画像

日本の男尊女卑についての考察㊵(天皇家についての考察②第十代)

こんばんは、今回も
あまり男尊女卑に
直結するお話ではありませんが

日本の文化として
避けて通れないという観点から
天皇家についての考察を
進めて参ります。

前回は、欠史八代の話を
させて頂きました。

今回はその続き
第十代:崇神天皇すじんてんのう
お話から始めさせて頂きます。

第十代:崇神天皇すじんてんのう
在位年数:68年
年齢:119

この崇神天皇は特に重要視され
初代神武と同じ名前である
【ハツクニシラススメラノオオキミ】
を持つ天皇でもあることから
古事記・日本書紀の
編纂がされる前時代には
崇神天皇を始祖とされていた
のではないかと
言われています。

最古の古墳の一つとされる
箸墓はしはか古墳
(奈良県桜井市)
を造営したり
大神神社にまつわる
エピソードが古事記に
記されています。

他にも実績として
四道将軍を組織し
派遣している
という部分も大きい功績です。
しかし、この部分は
史実とは言えないようで

第二十六代:継体天皇けいたいてんのう時に
起こった事象を元に
創作されている形跡が
見てとれます。

疫病が蔓延した都の事を憂い
崇神天皇は神床かんどこ
籠り瞑想をしていました。

すると崇神天皇の
夢の中に出てきた
大物主オオモノヌシの話に従い
太田田根子オオタタネコという人物を
探させて 三輪山に
オオモノヌシを
祀らせてたところ
都に蔓延していた疫病は
過ぎ去りました。

と言ったように

大和政権における祭祀を
掌握している。と
言いたかったのだと
推察できます。

ちなみに
オオタタネコの素性は
オオモノヌシが
人の姿を借りて
イクタマヨリヒメという
美しい娘と契りを交わし
身籠った際

朝には姿を消す
オオモノヌシを
ヒメは怪しみ
両親に相談したところ

両親は
「逢瀬の床の周りに
赤土を撒いて
麻糸を巻いた糸巻きの
針をその方の裾に
気付かれぬように
縫い付けなさい。」
とヒメに教え

ヒメはその夜
両親に言われた通りに
しました。

朝が来て
糸巻きを確認すると
その糸巻きから糸が
繰り出され
風穴を通り外に
向かっていました。

それを見たヒメは
我が身に宿った命は
神の子なのだと
確信したという話です。

この時のヒメより
生まれし子の曾孫そうそん
オオタタネコであったと
言われています。

その時に糸巻きに
残されていた糸が
三巻ほどだったので
御諸山は三輪山と
言われるようになった
と古事記には
記されています。

時代が降り、神話の話が
廃れて久しくなって
神の威光を再認するために
新たな設定を付け加えた
と考える方が自然で
はないでしょうか?

定期的にこのような
神話を蒸し返すような
エピソードが幾度となく
古事記には登場します。

さらに崇神天皇は
疫病が去った後
タケハヤスヒコの反乱も
経験していると
古事記には記されています。

タケハヤスヒコの叛意は
露見しタケハヤスヒコ軍は
壊滅しています。

タケハヤスヒコの反乱で
活躍したオオビコと
息子のタケヌナカハワケが
出会った場所を
相津あいづ(福島県 会津)と
呼ばれるようになった
と記されています。

反乱を制し
各地方の反乱分子を
平げ、民の暮らしを
安んじた
徴税の始まりも
この天皇からであると
言えるでしょう。

そういう意味でも
初めて国を統べた
初めての天皇 
という意味を
込めて呼ばれる
ようになった
そうです。

実在したかどうかは
とても怪しい天皇ではありますが
今後の天皇家を語る上で
すごく重要な天皇であると
言えるでしょう。

今後の天皇の施政の
根幹の全てがここから始まって
いるということが
描かれているのと同時に

施政者として徴税する権利を
ここで証明しているかの
ような描写があり

さらに、祭祀権の全権は
天皇家が有する。
と天皇家の権利を
強く主張している部分であると
いうのも とても面白い天皇
であると言えるでしょう。

しかし、オオモノヌシの
所業とはいえ、正体を隠して
相手を試すかのような
話は日本書紀にも見受けられ

箸墓古墳に纏わる
話として、特に有名ですね。

崇神天皇の叔母に
あたるヒメで
倭迹迹日百襲姫ヤマトソソモモノヒメが登場します。
モモノヒメが大物主オオモノヌシ
妻になりましたが
夜になると姿を眩ます
オオモノヌシに
ヒメは朝まで留まり
姿を見せてくださいと
懇願します。

するとオオモノヌシは
「明日の朝、櫛箱に
入っているから
我が姿を見ても
決して驚かぬように。」
とヒメに伝えました。

翌朝、ヒメが櫛箱を
覗くと中から出てきたのは
小さな蛇でした。
(白蛇であったとも?)

その蛇を見てヒメは驚き
思わず叫んでしまいました。

するとその蛇はたちまち
人の姿となり
「お前は我に恥を掻かせた。
この度はお主にも恥を
掻いてもらおうぞ。」
と言い残し三輪山に
飛び去ってしまいました。

その様子を恥入り
ヒメは座り込んだその拍子に
落ちていた箸で隠部を
突いて、そのまま絶命して
しまいました。

そのヒメを葬った墓が
箸墓と名付けられたと
記されています。

この箸墓古墳の主
倭迹迹日百襲姫やマトソソモモノヒメ
神との契りを交わした巫女
という特性も手伝い
魏志倭人伝ぎしわじんでん
登場する卑弥呼ではないかと
いう説が未だ根強くあります。

古事記・日本書紀に
おいても符合する
エピソードを持つ
天皇としても
神武天皇に次いで
重要視されている点も
考慮すると
この二人の天皇の
共通項は
かなり大きい
と言えます。

今回はこの辺りで
お話を終えます。

次回は
天皇家についての考察③
をお話しさせて頂きたいと
思います。

次回もどうぞお楽しみに!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?