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私が無職になるまで

お久しぶりです。
大学を卒業し、二年経った今、無職です。
ああ、どうしてそうなった、という感じ。

一度目の失敗

 大学の最中も二度入院したけれど、皆様のお力で何とか卒業、そして国家試験合格まで行った。やる気に満ち溢れていた。
 初めての職場はとても良い雰囲気だった。挨拶をすれば笑顔で返してくれるし、丁寧に教えてくれるし。本当に良い職場に巡り合えたと思う。
 けれど、ダメだった。ミスをしたってそれなりに注意されることはあっても、厭味ったらしく言われることもなければ、無視されるわけでもない。今思えば、自分にとっては合わない職だったのだと思う。
 半年経たずして、私は救急搬送されていた。

緊急で入院した結果

 社会人であれば誰でも分かるであろうが、仕事というものは完璧に一人だけでするものではない。必ずお互いの力を貸し合う。
 特に看護師においては、病棟によって必要人数が決まったりしているので、尚更緊急で人がいなくなると困るのだ。ただでさえ人が足りていない職場でそんなことをされた方々には、本当に申し訳ない。
 そのせいで、復帰予定だった職場からは「次休まないという保証ができない」という理由で実質解雇された。

二度目の失敗

 一度目の経験を活かし、今度は医療行為のほとんどない職場へと転職した。ここでもやはり人に恵まれ、割と楽しく働けていた。それなのに。
 それなのにどうしてだか辛くなっていくのだ。じわじわと真綿で首を締めるように、辛くてたまらなくなる。それが身体症状として出始めて、吐き気やめまいが出るようになった。そしてとうとう希死念慮も。
 職場で涙が止まらなくなったことをきっかけに、精神科に緊急受診した。そこで休職手続きに使う書類を書いてもらい、提出。それに合わせて入院の予定をいれた。

四床部屋の入院生活

 入院の予定を待とう待とうと努力はしたが、結果的に気がついたら隔離部屋に寝転がっていた。腕を切っていたらしく、ガーゼを剥がすと縫合されていたので、とりあえず引っ張ってみる。痛みは特に感じなかった。看護師さんに注意されても止められず、「これブチっと引っ張ったらまた傷が開くのかな?」とわくわくすらしていたように思う。
 まあ、言わずもがな、拘束されることとなった。
 それでも何とか回復し、四床部屋へと移された。今までは救急病棟の個室にしかいたことがなかったので、初めての体験。
 辛かった。隣のおばあさんの声やら物音が大きいのだ。注意してもやめてはくれない。まあ、精神科なのでそんなもだろうとは思うが。
 けれど、家にいるよりは安全に過ごせた。自殺したい自分もいるけれど、死にたくない自分も確かに存在するのだ。

まとめ

 入退院を繰り返しながら、今も何とか生きている。

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