障害を抱えたまま

ブログなのかなんなのか、よくわかってないけど始めてみた。少しでも自分の考えの整理になったり、はけ口になることを祈りながら書いている。

自己紹介

どこかの大学で四年生をしている学生だ。精神障害を持っている。

「適応障害」「双極性障害」

多分どちらかだと思う。思う、というのは主治医から正確な診断をもらっていないからだ。一応適応障害として診断されているが、そう診断されてから2年が経つ。時は早いものだ。ちなみに先日入院した際も「適応障害」であった。慢性的な適応障害なのだろうか?私にはよくわからない。

入院した際、私には様々な重圧があった。「卒論」「実習」「授業」「試験」「就活」他の方がどう感じるかはわからないが、私にはそれがとても重圧で、逃げられないもので、どうしようもなくしんどかった。「少しだけ」と思い、抗不安薬を2シート飲んだ。その後気が付いたら病院にいた。きっともう逃げたくてしょうがなくてどんどん追加してしまったのだと思う。主治医からは「誰かに相談してくださいね」、親からは「なんでそうなる前に俺たちに相談しなかったんだ」と言われた。自分でもここまでため込んでいるとは思っていなかったのだ。きっと小さいものが積み重なっていたのだと思う。わからないけども。でも今更ながら思うが「○○が不安だ~~~」と言っていた気はする。

入院生活

入院生活はとても快適だ。何物にも侵害されず、やらなきゃいけないことから目を背けていられた。まあその中でも多少のいざこざはあったが、全体の心地良さには勝てないだろう。ずっといたいと思った。できることならばここから大学に通いたいとすら思った。実際その案も上がった。「どうにかそうなってくれ」と切に願った。しかし、私の家はお金がない。入院生活か大学、どちらかを選択しなければいけなかった。

「大学中退」「大学卒業」

この二つは大きく違うと私は思う。そもそも「中退」はでかいと思う。扱い的には高卒なのかしら。難しいことはわからないけど、きっと私はその2文字に耐えられないと思った。だからこそ「それならば」と大学生活を選んだ。

自分の首を絞める

入院中はよかったが、入院生活の間も時間は進んでいく。授業も課題も何もかもが進んでいく。逃げた結果自分の首を絞めたのだ。少しだけ笑ってしまう。あんなに逃げたくてしょうがなかったから逃げたのに、そのせいで「今」自分の首を絞めている。やらなきゃいけないことは山積み、というかごっちゃごちゃにあるし、それを期限内にこなしていく必要がある。それが今の私にはうまくできないのだ。課題をこなすこと、これが本当にできない。何をやっても集中ができないし、続かない。あんなに大好きで一日中やっていたゲームですら数分しかできなくなってしまった。おまけに、最近はどうにも自傷行為への衝動が強い。薬物の過剰摂取ではなく、普通に(?)切りたいという欲求。

「切りたくて、でもしちゃいけないことだから悩んでいる」

そういうと、まあ大体は「しちゃだめだよ。なにかほかの事で気を紛らわせられないの?勉強とかゲームに集中したり…」とかと言った言葉が返ってくる。きっとこれは自傷行為をしたことがある人にしかわからないのかもしれないがそんな簡単に抑え込める欲求ではないのだ。人間の三大欲求ならぬ、四大欲求になってしまうのだ。だいたいやったことがない人にはわかってもらえないが、そんな人には食欲で説明するようにしている。

とてもお腹がすいていてラーメンがすっごい食べたいとき、それが頭から離れなくなりませんか?お腹はすいてるし、しかもラーメンと食べたいものも決まっている。あのこってりとした味、程よい硬さの麺、香り、熱くて口の中をやけどしそうになりながらもすするのだ。それがずっと頭にあるとき、ふと食べに行っちゃいませんか?

そういうと「ああ確かに。」と言ってくれる人がいる。その時少しだけ自分を理解してくれたような気持ちになって嬉しくなる。

本当にそれと同じなのだ。我慢しなきゃ、体に傷跡をこれ以上残してはいけない、我慢しなきゃ。そう思ってる。本当にそう思ってるのだ。でもずっとその衝動が頭から離れてくれないのだ。何をしていても常にそいつはそこに居て、こちらをジーッと見ているのだ。

「やろうよ」「見えない場所ならわからないよ」

やめろ、やめてほしい。今日はどうにか耐えられそうな気がする。紙を薄っすら切るためのカッターで下腹部を少しだけ切ったからだ。「もっとしたい」という欲求は強まったが、それよりも親に対する申し訳なさが今日は勝った。でも明日は…。そういうものなのだ。どうにかこの衝動を消せるものを私は探している。

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