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サザンオールスターズ『日本語ロックの世界を確立したパイオニア』人生を変えるJ-POP[第13回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

J-POPの歴史の変遷を語る上で外すことの出来ない存在に、サザンオールスターズがあります。1970年代のデビュー以降、2020年代を迎える今なお、圧倒的存在を放っている国民的バンドでもあります。今回はこのバンドと、その中心的存在である桑田佳祐の音楽や人物像について掘り下げてみたいと思います。

サザンオールスターズの結成 

サザンオールスターズ(以降、サザン)は、1975年、青山学院大学の音楽サークル”BetterDays”のメンバーだった桑田佳祐らによって結成されたのが始まりです。

1977年、ヤマハ主催によるコンテスト「EastWest」に出場し、入賞を果たすと同時に、桑田がベストボーカル賞を受賞。ビクターのレーベルである”Invitation”から、1978年に『勝手にシンドバッド』の楽曲でメジャーデビューを果たしました。

結成当初はメンバーの入れ替わりもありましたが、1977年以降は、現メンバーであるボーカル・ギターの桑田佳祐、キーボード・ボーカルの原由子、ベースの関口和之、ドラムスの松田弘、パーカッションの野沢秀行に、ギターの大森隆志(2001年脱退)を加えた6人で活動をしていました。(現在は大森を除く5人)

デビュー曲の『勝手にシンドバッド』というタイトルは、前年(1976年)に流行った沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディーの『渚のシンドバッド』から取られたものというエピソードがあります。

ふざけたようなタイトルや、曲想と歌詞の内容、そしてその歌詞を早口で捲し立てるように歌うパフォーマンス、その頃には珍しいTシャツ姿に短パンなどのラフなステージ衣装に、多くのリスナーが驚いたのは言うまでもありません。それまでのロックバンドのイメージを打ち破るような独特のパフォーマンスは、大きな話題になりました。

同年、出された1stアルバムのタイトルも『熱い胸騒ぎ』というもので、タイトルだけ見れば、「何?」「どういうこと?」という、桑田造語ともいうべき言葉に、単なる目立ちたがり屋という印象を持った人もいたかもしれません。

しかし、ロックバンドの多くがテレビ出演に背を向ける中、サザンは積極的にテレビ出演をして、自らの存在を多くのリスナー達に印象づけました。

翌1979年に出された『いとしのエリー』は、それまでの楽曲とは全く違う正統派のバラード曲で、切なく甘い歌詞とメロディーにサザンの印象を大きく転換させた曲と言えます。

同曲は、100万枚を超えるミリオンセラーを達成し、同年、同曲で紅白歌合戦に初出場を果たしました。

 こうやって、サザンオールスターズは、どこにもない独自のバンドとして活躍を始めたのです。

桑田佳祐、というアーティスト

サザンといえば、ヒット曲を上げれば枚挙にいとまがないほど多くの楽曲がありますが、派手で独特なパフォーマンスとは裏腹に、その根底には、桑田佳祐という人の音楽に対する気持ちの変化を見てとることが出来ます。

たとえば、デビュー当初は、ラブソングやエロティックな描写などの歌詞による楽曲だったものが、80年代に入ると、少し毛色の違ったものが登場し始めます。

1982年に発売された『流れる雲を追いかけて』は、彼の祖父母が満州からの引き上げ者であったことから旧満州の情景を描いた楽曲とのことですし、1983年に発売された『かしの樹の下で』は中国残留孤児を描いた作品です。

ただ、この頃はまだ彼は政治的問題意識を持っていたというよりは、その頃のロックにジャーナリスティックなトレンドを描く風潮があり、自分もそこに乗っかっただけ、と言います。

ですが、1994年発売の『孤独の太陽』は国内政治の汚職や腐敗をテーマにした楽曲であり、2002年に発売されたアルバム『ROCK AND ROLL HERO』は、9.11以降のアメリカへの批評が込められたアルバムとして知られています。

しかし、彼は、「このような社会的政治的風刺の楽曲も、それを作ろうと意図しているのではなく、結果的に生まれるもので、自由に聴き手が受け取ってくれたらいい」と言っているのです。

意図的に作るのではなく、自然に描きたいように描いた結果として、そういう風刺的な楽曲が生まれているということなのでしょう。

また、2011年の東日本大震災の直後に作った『Let’s Try Again』や2019年に配信した『闘う戦士たちへ愛を込めて』、さらには最新作の『時代遅れのRock’n’Roll Band』のように、頑張っている人々にエールを送るような楽曲へと変化しているのがわかります。

活動休止期間とソロ活動

長く活動を続けている間に、サザンは何度も活動休止期間を挟んでいます。その最たるものが、2009年の無期限活動休止です。

サザンは2008年に活動30周年を迎えたのち、2009年から本格的にメンバーそれぞれがソロ活動に専念するために活動を無期限で休止します。

これはサザンオールスターズというバンドが余りにも偉大になり過ぎ、その名前に頼った音楽活動になっているとの自覚から、各メンバーそれぞれが自由に発想できるソロ活動に専念する音楽活動を展開しようという考えからでした。

しかし、2010年に桑田自身は食道がんを発症。手術、治療のためにソロ活動休止を余儀なくされます。幸いにも手術は成功、治療が順調に進み、数ヶ月後に活動を再開することが出来ました。

翌2011年の東日本大震災の折には、早く被災地を勇気づけようと所属事務所であるアミューズの芸能人達による「チーム・アミューズ!!」のプロジェクトのために楽曲『Let’s Try Again』を書き下ろし、福山雅治、ポルノグラフィティ、BEGIN、Perfumeを始めとする37組54名によるパフォーマンスを行ないます。

その後、9月に宮城県で行ったライブが彼に「歌の本質」というものを気づかせたと言います。

ライブ会場は、震災直後、遺体安置所として使用されていた場所で、自分自身も病み上がりでもあり、いざステージに立つと深刻な言葉を言えずにいたのが1曲目の『青葉城恋歌』を歌った瞬間、会場の雰囲気が一変し、観客と一体になれたとのこと。

この時、どんなつらい悲しい状況の人でも、歌で心を癒やせるという、歌が持つ本質の力に彼は気づかされたのです。それ以降、彼は震災復興のために何かできないかと、何度も宮城県を訪れています。

 この休止期間は、メンバーそれぞれもソロ活動に専念し、パフォーマンス力を上げ、音楽性に磨きをかけて新しい楽曲を作り、新しい世界観を提示していくというような活動を何度か繰り返すことで、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代と各年代でヒット曲を出し続けられたと言えるでしょう。

1990年の『真夏の果実』、2000年の『TSUNAMI』、さらには2014年の『東京VICTORY』など、その時、その時で、強烈に印象に残る楽曲を作り出してきたというのは、各個人の音楽性が向上し、お互いに切磋琢磨した結果だと考えられます。

歌の世界だからこそ、大切にしたい言葉がある

サザンの歌詞といえば、エロチシズムや反戦歌など、日本のアーティストには珍しくストレートな言葉が並ぶ作品群ですが、近年ではコンプライアンスも気にするとのこと。

『女呼んでブギ』や『マンピーのG★SPOT』などは現代の基準ではアウトかもしれないと言います。

ですが、自分が慣れ親しんできた昭和歌謡の中で使われている歌詞の言葉には歌の世界だからこそ、大切にしたい世界観もあると言い、

「現代社会は男女平等でも、歌の世界では『女だてらに~』とか、男女の違い、差異があるからこそ成り立つ物語がある。例えば『唇を奪う』『馬鹿な女の怨み節』『妻という字にゃ勝てやせぬ』とか、『あなたの膝に絡みつく子犬のように』などの表現を伴う恋物語にも、やっぱり僕はこれからもずっとこだわっていきたい。『昭和の遺物』と言われようと、人の気持ちの揺らぎや機微、大切な思いや恋心の構造というのは100年前も今も変わらない気がするんですよ」(2021年9月17日付Yahooニュース『僕は空っぽの容れ物』より)とのことで、言葉に対してのこだわりを見せます。

昭和歌謡の世界観を残しながら、浮かぶメロディーとの融合を図ってきたからこそ、日本語によるロックが成立したのだとも言えます。

今年5月に配信リリースされた最新曲『時代遅れのRock’n’Roll Band』では、桑田の同級生である佐野元春、世良公則、Char、野口五郎の5人で初の共演を果たし、5人が心から音楽を楽しみパフォーマンスする姿を見せています。

この楽曲は、“次世代へのエール”と“平和のメッセージ”をテーマにコロナ禍やウクライナ情勢と言った現代社会が抱える問題にも目を背けず、重苦しい雰囲気を彼独特の持ち味の明るく軽快な音楽を伝えることで何とか前を向いていきたいという思いが込められているように感じるのです。

このように桑田佳祐が提供するものには、その軽快さや明るさの奥に潜む深いメッセージが込められているものが多いのも特徴の一つと言えるでしょう。

混濁した響きの音色。その歌声が胸に届く

ソロ曲であっても、サザンの楽曲であっても、その世界観を伝えている重要なアイテムに、桑田自身の独特な歌声があります。

彼の歌声は「ダミ声」と称されたことがあるほど、響きが混濁した音色であるのが特徴です。この声は、学生時代にいわゆる「ダミ声」が流行っていたことから、ウイスキーをがぶ飲みして大声を出し続け声を潰そうとしたというエピソードがあるぐらい、彼自身がそういう声に憧れを持っていた節があります。

実際にそれまでの歌声がどのようなものだったかはわかりませんが、彼の歌声は前回のミスチルの記事で紹介した「倍音」の種類で分類するなら、「非整数次倍音」を持つ代表的歌手の1人と言えるでしょう。

彼の場合、常にその倍音が鳴っているというよりは、彼が意識的に強く歌うことでその倍音が出現する、と言った方が正しいように思います。なぜなら、同じ楽曲の中でもフレーズによって、またメロディーラインの高さによって、響きの混濁があったりなかったりするからです。

倍音がないときの彼の歌声はどちらかといえば、明るめで綺麗な統一した響きをしています。またそれほど幅も太くありません。元来の歌声はもしかしたら、そのような声だったのかもしれないと感じさせる響きでもあります。

ですが演歌歌手を目指す人がこぶしをテクニックとしてつけていくのと同じように、倍音も訓練することで身につけることができるのです。

彼が意図的に声を潰しにかかったことで、非整数次倍音が結果的に声に現れたということなのかもしれません。

この響きの混濁が楽曲の明るさや軽快さ、反対に切なさを表したりするのも彼の歌声の特徴と言えるでしょう。

ロックと歌謡曲

サザンの楽曲は桑田自身の「日本人はやっぱり昭和歌謡」という考えから、ロックと歌謡曲を融合させた音楽を作り出し、多くのミュージシャンに影響を与えてきたと考えられます。

昭和歌謡の心を忘れない日本人特有の感情を歌詞に使い、洋楽とマッチングさせるために独特の言い回し(たとえば『いとしのエリー』の歌詞にある「誘い涙」や、『勝手にシンドバッド』の「胸さわぎの腰つき」などの桑田造語)を生み出し、「日本語ロック」という独特の音楽ジャンルを確立し続けているサザンは、間違いなく令和の時代にも輝き続ける偉大な星です。

彼らの音楽が今後の若い世代にどのような影響を与え、受け入れられていくのかを同じ時代を生きている人間として楽しみに見守っていきたいと思います。

デビューして44年。サザンオールスターズは、今なお、J-POP界を牽引していく存在であることは間違いない事実なのです。

久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞