RADWIMPS・野田洋次郎『日本語のことばの美しさを世界に広げる名手』(前編)人生を変えるJ-POP[第48回]
たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。
今回は、海外でも精力的に活動を続けているRADWIMPSの野田洋次郎を扱います。彼は、現在、NHKBSドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』の辞書編集部主任役で、俳優としての才能を発揮していますね。また、ソロプロジェクトillionとしても才能を発揮しています。そんな彼の魅力について、書いてみたいと思います。
曲の全面に“ことば”が立つ
今回、連載で野田洋次郎を扱うと決めたとき、お恥ずかしいことに、彼の名前は知っていても、実際、彼の音楽、即ち、RADWIMPSの楽曲をほぼ聴いていないことに気づきました。
そして、あらためて、いろんな曲を聴いてみても、「あー、これこれ!」と思い当たる節が全くなく、ほぼ初見に近いということを感じたのです。わずかに聞き覚えがあったのは、『前前前世』だけです。
ですが不思議なことに、彼の作る音楽は、一度聴くと、すぐに耳に馴染むのです。
そんな私が感じたのは、野田洋次郎という人の作り出す歌詞の“ことば”です。“ことば”が曲の全面 に立っていて(ことばが際立つこと)、自然に耳の中に残っていく、という印象を持ちました。
メロディーか歌詞か。聴き手が惹かれるパターン
アーティストの歌を聴くとき、聴き手には2つのタイプがあると思います。
1つは「メロディー」、いわゆる曲の“音”の組み合わせに惹かれるタイプと、もう1つは「歌詞」すなわち、そこに書かれている“ことば”に惹かれるタイプです。
私は完全に前者で、メロディーと歌声という“音”が耳に残るタイプなのです。
ですから、“ことば”は、メロディーと歌詞が完全に一体化したときのみ印象に残り、“ことば”で力強く語られても、そこにあったメロディーが印象的でなければ心に残りにくいタイプの聴き手です。
ところが、野田洋次郎の曲は、“ことば”がまず耳の中に入ってくる、という状態でした。“ことば”を大切に紡ぐ人、という印象を持ちます。
これが、私が野田洋次郎という人をイメージするとき、曲はそれほど知らないにもかかわらず存在感を感じるところだと思いました。
彼は、俳優としても非常に稀有な才能の持ち主で、初めて出演したのは、2015年の映画「トイレのピエタ」です。さらにその作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得しています。
俳優として初出演したものがいきなり主演で、さらに日本映画界の最高峰である日本アカデミー賞の新人俳優賞を獲得するのですから、いかに彼が俳優としても存在感を示せる表現者であるかということを示しています。
演技としての表現、歌としての表現
俳優と歌手という職業は、「演技」と「歌」という手法は異なっても、「表現者」という部分で同じ土俵に立つように私は思うのです。
俳優は、物語の中で、自分とは異なる人物を表現します。性格だったり、エピソードだったり、別の人生を歩んできた人間を演じますね。
それと同じように、歌手も、「歌」の中で、別の人物を演じると考えます。
以前、松田聖子が、10代からの多くのヒット曲を歌うとき、「そのときだけは、10代の少女に戻る」という発言をしていたのですが、歌手も、歌詞に書かれた内容から、その人物像を自分の中に描き出し、ある種、演じているのではないかと私は思うのです。
自分とは異なる人物を演じる、という点で、俳優も歌手も“ことば”を通して表現する部分は、同じなのではないでしょうか。
もちろん、歌の場合、自分の体験を元に書くものも多いのですが、それでも一旦、その体験を歌詞にして、メロディーをつけ、楽譜に落とし込んだ時点で、自分から離れたものになります。それをあらためて自分で歌う。そういう作業になるのではないかと思います。
そこには、自分の思いであっても、自分そのものではなく、同じ思いを抱く人に届くように歌うのではないかと想像するのです。
感じたこと、感じたものを“ことば”に落とし込む
野田洋次郎の楽曲を聴いてみると、“ことば”が非常にストレートである、という印象があります。
RADWIMPSの楽曲のほぼ全てを彼が作詞作曲しているところから、彼が感じたもの、彼が悩んだもの、彼の思いがそのまま歌詞に落とし込まれている、という印象なのです。
それは、おそらく彼自身が誠実で裏表のないストレートな人だからなのでしょう。
感じたこと、感じたもの、体感を“ことば”に落とし込む。自分の体感をそのまま“ことば”に落とし込むのは、簡単ではありません。
彼は、その体感を表すのに、“ことば”を探し続け、“ことば”を丁寧に扱う人なのではないかと。だから、彼は俳優としても優秀であり、彼の楽曲は多くの人の共感を呼ぶのではないでしょうか。
“音”を優先的に感じる私のような聴き手の耳にも“ことば”が届いてくるのは、そういうことなのではないか、と思います。
始まりは、ギターとの出会い
彼は、東京都生まれの今年39歳。音楽との出会いは、小学5年生の頃、ギターが始まりです。
両親が音楽に造詣が深く、家庭にはさまざまな楽器があったようですが、幼稚園時から10歳まで父親の仕事の都合でアメリカで過ごしました。
日本に戻ってきたとき、日本語がわからないことがあったりして、少し苦労したようです。
バンド「RADWIMPS」結成は、2001年の高校1年生のときです。高校3年生のときには、FM世田谷が主催する高校生文化祭・青二祭に出演。当初予定していたバンドの出演キャンセルにより、本番10日前に急遽出演が決まったとか。
その後、8月には、「YOKOHAMA HIGHSCHOOL MUSIC FESTIVAL 2003」にてゲストライブを行い、大学受験のために一旦バンド活動を休止。大学に合格後、バンドメンバーを現在のメンバーにして、再始動をしました。
『前前前世』で紅白出場を果たす
メジャーデビューは2005年、彼が大学2年生のときです。『25コ目の染色体』をリリースしました。
2011年には、楽曲『君と羊と青』がNHKのサッカー中継のテーマソングに選ばれたりもしています。
また、2016年には長編アニメーション映画「君の名は。」で新海誠監督と初のタッグを組み、主題歌『前前前世』でNHK紅白歌合戦に出場を果たしました。
その後も2019年の『天気の子』、2022年の『すずめの戸締まり』など、新海監督とのタッグによって、主題歌のみならず、映画内の全曲を担当し、音楽の才能をフルに発揮しています。
後編は、彼の歌声の魅力と歌詞の“ことば”から感じる音楽について書いてみたいと思います。