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Ado『自己を脱却する歌い手』(後編)人生を変えるJ-POP[第19回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

連載19人目は、Adoさんを扱います。年末の音楽特番やNHK紅白歌合戦などで、ホログラムで出演した”ウタ”というキャラクターの歌声で印象に残っている人も多いでしょう。顔出しを一切しない歌手として衝撃のデビューを果たした彼女の魅力について紐解いていきたいと思います。

(前編はこちらから)

多彩な色を持つ、パワフルボイス

彼女の歌声は、デビュー曲の『うっせえわ』から続く一連の楽曲でのインパクトの強いパワフルボイスの持ち主という印象を持ちます。

しかし、『ONE PIECE FILM RED 』のウタの歌唱で、そのイメージを覆し、歌手としての多彩な歌声を披露しました。

映画『ONE PIECE FILM RED 』の中の歌姫ウタは7つの楽曲を歌っています。これらの楽曲は今まで彼女が歌ってきたボカロPの楽曲ではなく、中田ヤスタカ、Mrs. GREEN APPLE、Vaundy、FAKE TYPE.、澤野弘之、折坂悠太、秦基博が曲を提供しています。

この7曲の中で、彼女は楽曲によって声の質感を変えています。例えば、中田ヤスタカ提供の『新時代』は、イントロ無しで始まる冒頭のフレーズでは透明感のある伸びやかなヘッドボイスの歌声から、音楽が動き出すに連れて徐々に歌声に色が現れて来るという歌声の変化を感じることが出来ます。

Mrs. GREEN APPLEの提供曲である『私は最強』は、そのタイトル通り、尖ったインパクトの強いパワフルな歌声です。この楽曲は縦刻みのリズムが音楽に躍動感を与えており、彼女の歌のリズムの刻み方もそれに合わせた形で縦刻みの尖った歌声が見事に楽曲の世界観を現しています。

『逆光』は22歳の現役大学生で作詞、作曲、アレンジやデザイン、映像までもディレクションやセルフプロデュースするVaundyの楽曲です。

この曲では彼女の中音域から低音域の歌声が中心になっていますが、上記2曲とは違い、偏平的な濁った響きの尖った歌声が目立ちます。音色は胸に響かせたつぶれ気味の濁声(ダミ声)に近い響きです。しかし、このような叫びに近いような歌声でも彼女の場合は、その中に伸びやかさが存在しており、非常に伸縮自在な声帯の持ち主という印象を持ちます。

『ウタカタララバイ』はMCのTOPHAMHAT-KYOとTrackMakerのDYESIWASAKIの音楽ユニットによるラップ曲。このユニットの得意とする変貌自在なトラックによるラップ曲を彼女は見事に歌いこなしています。

音域も高音から低音までを行ったり来たりする上に休みなく続く大量の言葉を正確にリズムと音に乗せていくコントロール力、そして濁声から透明感のある歌声まで多彩な色の歌声をフレーズごとに使い分けていくテクニックには脱帽するしかありません。

彼女の歌手としての基礎力の高さを見せつける1曲と言えるでしょう。

ボーカルプロジェクトSawanoHiroyuki[nZk](サワノヒロユキヌジーク)としても活躍する音楽作曲家澤野弘之による『Tot Musica』は、オペラやミュージカルのワンシーンを感じさせるようなスケールの非常に大きな楽曲になっています。

この曲で彼女は少し曇りがかった響きのダークな色彩の豊かな声量の歌声で絶え間なく全体を歌い通していきます。

どのフレーズにも歌声の線が細くなったりする部分はなく、次々とソフトで太い響きの歌声が楽曲のフレーズに注ぎ込まれていく、そんな印象を与える歌い方をしているのです。伸びやかでこれでもかこれでもかと弛まない歌声が楽曲全体を覆っていくのです。

これらの楽曲に対して、シンガーソングライター折坂悠太の『世界のつづき』は、二つの音色が対比された歌い方で展開されていくスローなバラード曲です。

二つの音色というのは、淡々と始まる歌い出しのフレーズに使われている透明感の溢れた細めの歌声と、高音部へとメロディーが展開される場合に叫ぶように歌われていく張りのある濃厚な響きの歌声です。

この二つの歌声が入れ替わりながら繰り返されていくメロディーラインは、彼女の魅力的な歌声を十分堪能することが出来ます。

そして映画のエンディングにも流れてくる秦基博による『風のゆくえ』。
海原での航海が映像で思い浮かべられるイントロから始まるこの曲は、ロングトーンを多用したスケールの大きなバラード曲です。

この曲は全体に彼女の透明感のある歌声によってパワフルにたっぷりと歌い上げられていく手法が使われています。芯のある濁りのないストレートボイスは非常に魅力的で、強い意志を感じさせる歌声になっています。

3つの特徴を持つ歌声のコントロール力がすごい

このように彼女の歌声は実に多彩な色を持っていることがわかります。

彼女の歌声の特徴は大きく分けて三種類で、高音域に使われることの多い透明感の溢れたソフトなヘッドボイスの歌声と、中音域に使われる芯のある濁りのないストレートな歌声そして、中・低音域の響きを偏平的に潰した濁声です。

この偏平的な濁声は主に叫びや怒りを現す時に用いられる歌声で、この歌声の存在により、彼女の歌は清純なイメージからダークなイメージまで、実に幅広い多彩な色合いを見せるのです。

そしてこれらの歌声に共通するのは、「伸びやかさ」です。どの歌声も非常に伸びやかな色合いを見せており、それによって彼女特有の濁声ですら、耳に不快感を与えません。これが多くの人に受け入れられている最大の理由であり、最大の魅力でもあると言えるでしょう。

また、各種の歌声のコントロール力は素晴らしく、弱冠20歳にして完成されたテクニックの持ち主という印象を持ちます。

彼女がどのようにして、これらのテクニックや表現力を身に付けたのかということに私は個人的な興味を持つのです。

普通、一般的に濁声と感じる歌声を使うと声帯に大きな負荷をかけることが多く、ハスキーさやしゃがれ声のような響きを併発することが多いです。

しかし、彼女の場合は、濁声と透明的な響きの歌声を短いセンテンスの中に繰り返し使って歌っても伸びやかさは変わらないという特徴を持ち、非常に持って生まれた声帯の伸縮性の良さというものを感じさせます。

ただ、デビューして2年余り、まだ20才ということを考えれば、今が一番、歌声が伸びやかな時期と言えるかもしれません。今後、この歌声がどのように変化していくのかも非常に興味を抱く部分と言えます。

顔を見せないでデビューした彼女もライブでは顔を隠さないで歌うとのこと。しかしライトの反射などにより主にシルエットが見られるだけ、とのこともあって、それらが彼女の歌声の印象をさらに強くしているとも言えます。

言葉や国境を超え、世界へ──

小学校のときに「歌手になりたい」と思い、憧れの東京・台場のZepp DiverCityで初ライブの開催、さらにさいたまスーパーアリーナで2万人規模のライブを行い、歌手としての夢を次々叶えている彼女の次の目標は、海外と言います。

ユニバーサルミュージックグループ傘下のアメリカの名門、ゲフィン・レコードとのパートナーシップをスタートさせることが発表されている今、彼女が日本の音楽の素晴らしさを広く世界中に広める歌姫になっていくであろうことを期待させるものでもあります。

歌姫Adoは、言語や国境を越え「個」で立っていく時代のアーティストの1人として、21世紀が必然的に生み出した象徴とも言える存在なのです。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞