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ONE OK ROCK”Taka“『反骨精神でロックシーンを取り戻すJAPANロッカー』(前編)人生を変えるJ-POP[第42回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

新春2回目は、ロックグループONE OK ROCK(以降ワンオク)のボーカリストTakaを扱います。サラブレッドの生まれにもかかわらず、非常に紆余曲折の人生を歩んできた苦労人でもあります。海外で評価の高いワンオクとボーカリストであるTakaの歌について、書いていきたいと思います。


『内秘心書』で2007年メジャーデビュー

ワンオクは、正式には、ONE OK ROCKと書きます。名前の由来は、バンド結成当時、練習場所に集まる時間が毎週末の午前1時(one o’clock)だったこと。午前1時になると、スタジオが深夜パック料金になって安く使えることから、その時刻にメンバーが集まって練習していたとのことです。初期メンバーで初期ドラマーのYOUが名付けました。

簡単にワンオクの歩みを説明すると、結成は2005年。何度かメンバーの入れ替えを繰り返しながら、2009年から現在のメンバー4人に固定されています。

メンバーは、Taka(ボーカル)、Toru(ギター)、Ryota(ベース)、Tomoya(ドラムス)です。2007年『内秘心書』で、アミューズグループのA-Sketchからメジャーデビューしました。

その後、若者を中心に支持を集め、全国のライブハウスでのツアーや、夏に行われるロックフェスティバルなどの出演を通じて、確実に活動を積み上げ、武道館、野外スタジアム、また、アリーナツアーやドームツアーを成功させて来ました。

また、8年前からは、活動拠点をアメリカに移し、日本だけでなく、海外のレーベルとも契約をし、アルバムを発売。欧米諸国やアジア各地でワールドツアーを成功させています。海外での認知度や評価は高く、近年は精力的に海外ツアーを展開しています。

日本ではほぼ地上波に出ていませんが、映画やドラマ、CMとのタイアップ曲は非常に多く、有名なところでは、『Wherever you are』があります。

この曲は2010年にリリースされた4枚目のアルバム「Nicheシンドローム」の9曲目として収録されたもので、2015年にNTTドコモのCMソング「感情のすべて/家族」篇に起用されました。

ビルボードジャパンのチャートにランクインし、4ヶ月以上トップ20にランクインし続けた楽曲で、代表曲の1つと言えるでしょう。

このバンドの中心的役割を担っているのが、ボーカリストのTakaです。現在、楽曲の多くを彼が作詞・作曲している状況で、ワンオクの中心的人物と言え、ワンオクの活動方針は、そのまま彼の活動方針と言えるかと思います。ここからは、Takaについて書いていきましょう。

芸能界のサラブレッドとして生まれて…

Takaは、本名森内貴寛と言って、父親は森進一、母親は森昌子です。弟に同じようにロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストHiroがいるという芸能人一家で育ちました。

彼は、両親が偉大な演歌歌手であるという特殊な環境のもと、生まれ育ったのです。

森進一は自身が母子家庭で育った経験をしていたせいか、非常に厳格な家庭を築いていました。自身は、朝起きるとまず仏壇にお供物をして手を合わせる、子ども達には、食事に箸をつける場合も先ずは父親から、というふうに食べる順番まで決めていました。

つまり、Takaは、常に父親の威厳や存在を意識させられるような厳しい家庭環境のもと、育ったと言えるでしょう。

また、学業が第一優先で、小学校から大学までストレートに上がれる超名門私立校で教育を受けてきました。

そういう環境の中、彼は、小学校高学年で父親と一緒に観た少年隊の舞台に強い憧れを持つようになります。そして、ジャニーズ事務所の養成所に入り活動を始めます。

父から厳命されたのは学業優先。その生活の中でも、彼は両親の才能を受け継ぎ、天性のリズム感の良さを発揮。中学3年生で「NEWS」のメンバーとしてデビューしました。

ですが、その後、華やかな芸能界の中で彼の生活はどんどん乱れ、厳格な父親との意見の違いも顕著になり、「NEWS」を脱退後、高校も1年で自主退学してしまいます。

そのため、激怒した父親から勘当されることになったのでした(

NEWS脱退後、次なるステージはバンド活動へ

彼がバンドに興味を持ったのは、中学3年生の頃。ライブハウスで初めてRIZEのステージを見たことがきっかけとのこと。その後、家を出た彼は、都内のスナックなどでアルバイトをしながら、バンドを組んで活動を始めます。

その頃、Toruは当時、結成したばかりの自分のバンドのボーカルを探していて、彼のライブに訪れたのが、Takaがロックを歌うことになるきっかけです。

当時、Takaのバンドでは、R&Bやバラードなどを歌っていましたが、彼の歌声に強烈に惹かれたToruは、ロックを歌わせたら面白いことになるのではないかと考え、バイト先まで訪れて、自分のバンドに熱心に誘います。

ストーカー的なほどの熱意に根負けして、Takaは「一度だけリハーサルに参加します」と約束。そのことがきっかけになり、バンドのボーカルになりました。

Toruのバンドも結成したばかり。右も左もわからない手探り状況だったようですが、生のバンドの迫力というものを体験して、Takaはどんどんバンド活動にはまっていきました。

年間、30〜40ステージぐらいをこなし、大きなステージで歌うことの快感のようなものをボーカリストの体験として積み上げていきます(

そうやって、結成後の1年で「THE 夢人島 Fes.2006」に出演を果たし、2007年にメジャーデビューを果たしたのでした。

両親が演歌界の大物歌手という超エリート一家に生まれ、有名私立校に入学という順風満帆な環境から飛び出て、自分の力で人生を歩くことを選択した彼の中に宿っているのは、ロックの真髄とも言うべき「反骨精神」。

「もし、自分が大人しく言うことを聞いていれば、こんなふうになっていなかった…(中略)…普通の家庭に生まれていたら、ここまでロックに対して、生き方も含めてそんなに意識していなかったかもしれない」と話す彼は、今、その反骨精神をロックという音楽に全力でぶつけていると言えるでしょう。

後編では、「衰退してきたロックの精神を僕らが必ず取り返す」と言って、アメリカに拠点を移し、活動を続ける彼のアメリカでの挑戦や音楽に対する考え、圧倒的支持を受ける魅力的な歌声について書いていきたいと思います()。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞