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わたしの生き方をつくる価値観(バリュー)について

はじめに

このnoteを開いてくださったみなさま、ありがとうございます。

わたしが自分の人生を通じて実現したい社会、やりたいこと(Do)について、前のnoteで書きました。

それを実行していく上で、わたしは自分自身の生き方、自分やほかの人のあり方(Be)も大切にしたいと思っています。

このnoteでは、わたしが大切にしたいあり方、実践していきたい生き方、それをつくる価値観(バリュー)について書きます。

価値観はわたしにとって、周りの人たちとお互いに影響を及ぼしあったり、何かのできごとが起きたりする中で、ビジョン・ミッションよりもさらに変わりやすいものです。
27歳を迎えるわたしがいま感じていることとして、書き残しておけたらと思います。


自由であること

いまのわたしにとって、「自由であること」はとても大切な価値です。

特に、時間と場所にしばられない身体的自由は、生き方や働き方を選ぶ上でかなり大切な条件です。

なぜ、時間と場所にしばられないことにこだわるのか。
それは、好奇心が強く、自分がその時々で関心を持ったことに飛び込み、行きたい場所に足を運びたいからです。

一方で、わたしは自分が本当に楽しい・よい・美しいと思ったことには、時間を忘れて打ちこむタイプでもあります。
ほかの人に与えてもらったことの中から、楽しいこと・よいもの・美しいものを見出すことも多いので、自分がもともと好きなことだけやる、というわけでもありません。

ただ、本当に楽しい・よい・美しいと思えることを見つけるには、人一倍の探究や試行錯誤が必要なのです。

したがって、そのような試行錯誤ができる自由がある、試してみて合わなければやめる選択ができる環境が、いまのわたしには大切だと感じています。

また、自分以外のひとにも、本当に楽しい・よい・美しいと思えることに心から打ち込んでほしい、という願いがあります。

前のnoteに「さまざまな研究者、アーティスト、デザイナーがまざりあう研究所/アトリエ」を持ちたいと書きましたが、その背景にも、もっと多くのひとが、自分が本当に楽しい・よい・美しいと思えることに心から打ち込める環境をつくりたい、という思いが流れています。


誠実でいられること

自由であることと並んで、わたしにとって重要な価値が、「ひとが誠実でいられること」です。
わたし自身だけではなく、他のひとにもそうであってほしいと願っています。

自分を偽ったり、強く見せたりせず、ありのままでいられる。
相手に対してのニーズを、非暴力的に伝えあうことができる。

そんな空気や文化がある場所で生きたいですし、自分自身でもそんな環境をつくっていきたいと強く思います。

これも前のnoteで書きましたが、わたしは地域に根ざしたコミュニティづくりがしたいと思っており、その中で、ひとが誠実でいられる環境もつくっていきたいです。

ビジョンに共感しあえる数人で集まり、まずはそのメンバーの中に、心理的に安全な雰囲気と対話の文化を育む。
そしてそのひとりひとりが、まちに出て共感者を増やす過程で、地域の人たちの願いに耳を傾け、自分たちの願いも伝えることで、非暴力的な対話の種をまいていく。

そのようなプロセスを通じて、自分もほかのひとも大切にできる、多様な価値観が響きあうまちがつくられていくのではないか、と想像しています。


開かれた、民主的な場であること

これまで個人的な価値について書いてきましたが、ここからはより社会的な価値、わたしはこんな社会に生きたい、という願いについて書きます。

一つには、「開かれた、民主的な場であること」です。

職業や立場、年齢などにかかわらず、すべてのひとが、まちに暮らしているひとりの「市民」、まちをつくっている当事者であることに変わりはありません。

しかし、自分がまちづくりの主体であると、日常的に感じているひとは、それほど多くないのではないかと思います。
選挙の投票率が低いのも、そのような日常の手ざわりのなさの延長線上にあるのではないでしょうか。

わたしは、ひとりひとりが、平等な権利と責任をもって参加するまちやコミュニティをつくっていきたいです(前回のnoteで「協同組合的な運営」と書いたのはこの意図からです)。

そのようなまちでは、参加するために考えることが増えたり、自分の時間を使う必要があったりしますが、同時に
・自分の願いが、自分が生きるまちのルールに反映される
・自分の生き方を自分で決めることができ、安心感がえられる
・自分が社会をつくっている実感がわき、自己効力感が高まる
など、ひとがしあわせに生きられるまちになるはずです。


ひとりひとりの人権が守られること

もう一つ、私がなくてはならないと思う価値が、「ひとりひとりの人権が守られること」です。

あたりまえのこと、だと思われるかもしれませんが、いまの社会では、その「あたりまえ」であるべきことが、すべてのひとにとってあたりまえではない状態にあります。

たとえば、以下が日本の現状です。
・男女格差の大きさを表す「ジェンダーギャップ指数」で、日本は156か国中121位。女性として生まれただけで、男性よりも不利な場面が多く存在する。
・日本では約6世帯に1世帯(15.4%)が貧困線(単身世帯の場合、可処分所得が年127万円)未満で暮らしている。ひとり親世帯ではこの割合が約半分(48.1%)まで高まる(2018年)。

これらの問題、ジェンダーギャップや相対的貧困などに対しては、さまざまな施策が試みられていますが、状況はあまり改善していません。

仕組みを決める側の立場に、女性や所得が低い方が少なく、当事者の意見を反映しにくい構造になっていることが、その大きな原因だと考えています。

先に述べたような、「開かれた、民主的な場であること」、すべてのひとが平等な権利と責任をもち、お互いを尊重しあってルールを決めるまちにすることで、だれかが不利な状況におかれることなく、ひとりひとりの人権が守られると信じています。


おわりに

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

前回のnoteで書いたビジョン・ミッションの背景にある、わたしのいまの価値観について書きました。

「はじめに」でも書きましたが、価値観は環境や社会の変化、ひととのかかわりとともに絶えずうつり変わっていきます。

自分がいま持っている価値観にしばられず、さまざまなひとたちとの対話を通じて、ときには新しいものをとり入れ、古いものを手放して、価値観を更新し続けたい。
そのためにも、自分がよい・美しいと感じるものにいつも敏感でありたい、感受性をみがき続けたいと思います。


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