言葉の不自由さ

こんにちは。
気持ちがうまく伝わらない。言ってることを理解してもらえない。
そんなことって結構あるんじゃないかと思います。

言葉ありきでコミュニケーションを行いますが、
実際には、感情や想いがあり、それを言葉にしているというプロセスがあり、
論理的に伝えようとしても難しい訳です。
そもそも人の気持ちは広がりがあるものなので言葉や論理で表現しきれないのです。

哺乳類は母と子の繋がりをもつことで種を存続させています。愛着が基盤にあるわけです。
精神科の病気を持つ人はほとんど愛着の歪みを持っています。

愛着障害、PTSDなどの問題は語り始めると長くなるので、また別の機会にまとめようと思いますが、とにかく、人間は本来、ふれあいが大切であり、そのなかに安らぎを感じる動物なのです。

言葉の文化は、人類に発達をもたらしました。様々なものが作られ、また発見され、物理的に豊かな生活を手にしました。

しかし、言葉は人間の精神に不自由をもたらしました。言葉のコミュニケーションに重きをおいたため、ふれあう時間が少なくなりました。言葉による文化の発達により、お金や権力に対して執着するようになり、死という言葉を作ることで恐れるようになりました。言葉の表現は争いを生みました。損をした、馬鹿にされた。それらは言葉の文化があるからこそ生じていると思います。

言葉や論理は自由ではありません。定義や常識といったものに縛られます。感情から離れた言葉で表現するので、その時点でずれが生じます。そして言葉を受け取った人もその人なりの感じ方があるので、またそこでもずれが生じます。

表情や声色からもメッセージを受けとります。ただし、気持ちを伝える思考過程で言葉を使うのでずれが生じるのだと思います。

いったん言葉が原因で離れてしまうと、それをまた言葉で結びつけるのは困難になります。

どうやって、言葉によりもつれてしまったものを元に戻すかというと、ふれあいに立ち返るしかないのかなと思います。

子供が自分に自信をなくし引きこもってしまった。愛されていないと嘆き反抗的になる。
それらの対して、ほとんどのご家庭では言葉で理解してもらおうとします。

でもやはり言葉にすることですれ違いが起きることが多いのです。結果子供も親も傷ついてしまう。

なにかよいことを言おう、とかそうしたことから離れて抱き締めてください。抱き締めることが難しいなら、じっとそばにいてください。
言語的なコミュニケーションをはかるよりも、非言語的なコミュニケーションの方が自然なので、そちらの方が伝わりやすいのです。
なにか共同作業をもくもくとすることも有用かもしれません。

精神科の患者さんでときどき絵を描くのが上手な方がいます。言葉は苦手だ、というパターンが多いように感じますが、言葉だけじゃないコミュニケーションをもっととれるようになれば、みんな楽になれるんじゃないかなと思います。絵はほとんどずれがないように感じます。文字文化よりも壁画などの方が歴史は長いので、もっと私たちに馴染みやすいはずなのです。

疲れやすい、生きにくさが蔓延している現代において、自然な状態に立ち返ることは重要なことだと考えています。


まとめ

言葉で執着が生じてしまうことが多いので、言葉は便利だけど厄介です。
言葉で関係性につまずいてしまったら、抱き締めたり、そばにいたり、非言語的なコミュニケーションを心がけましょう。