見出し画像

京都旅談①「観光スポットとは」


京都には至る所に世界遺産がある。3歩歩けば神社や寺があり、観光客からすると「日本ぽさ」感じられる歴史的スポットだろう。
日本ぽさという漠然としたイメージを求めて訪れる観光客は果たして想像していたものを得られるのだろうか。
観光名所の一つ嵐山に行った
梅雨が明けた夏は湿気と太陽という悪魔的なコンビを連れてきた。太陽に照らされる皮膚と、呼吸するたびに水と空気で満たされる肺、吹き出る汗と乾く喉。この炎天下に山登りをするなんて想像を絶する苦行になるだろう
「山は登らないよ」
と友人に伝えられた。どうやら嵐山は登らなくても駅周辺で充分観光できるらしい。

this is japan な庭園


実際行ってみると、「マッチャ」、「ジンリキシャ」、「センス」、「ダンゴ」が各所で見られた。
昔から自分は観光地があまり楽しめない。

現代では、写真を撮り、SNSにアップするためだけに用意されたスポットや高値で彩り豊かなお菓子たちが売られている。
今日も沢山の写真と動画たちがネットにアップされるんだなあと思った。
自分は歴史的名所に行くとどうしても「当時の歴史」を求めてしまい、今目の前で起きている歴史の変容を満喫できないのだ。(それがもう神話でしか無いことも分かっているが)
歴史を楽しむためにはその場所をよく知った上で、心を集中させ、当時の時代を映像として脳内で再生し、映し出す必要があると思う。だが、飛び交う多種多様な言語と街ゆく交通の騒がしさがその想像を容易に拒んでくる。
観光も商売であり、客の需要に対して変容していくには当然必要な変化である。だが、それは同時に新たな文化の形成にもつながる。
日本っぽさというイメージを作り出し、それに世界遺産というレーベルをリンクさせる。私が歴史を感じるためには恐らく地元にずっといた人たちと話し、建築を見て、自然に心を通わせなければならない。地元に根付くもの以外で構成された場所「観光地」。
できればその楽しみ方を誰かから教わりたい。
そんな観光記であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?