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政策の失敗に負けない自治体総合計画の作り方 その8 ; 「市民」は存在しない。市民協働のリアル。

ついに8回目です。今回は、市民協働のあり方です。僕自身、実は、この「市民協働」という言葉には大きな違和感をもって業務を進めてきました。

「市民協働」!というが、そもそも「市民」とはだれなのか?。市民と対話をしながら、事業を進めれば本当にうまくいくのか?ということを、この業界に入ってからいつも感じていました。

その当時、2000年前後における市民協働の議論のポイントは、「パブリックインボルブメント」つまり、事業計画を作る際に幅広い意見をきく、もっというと幅広い意見を述べることができる市民を作るというのが主眼だったかと思います。僕自身は、土木設計からこの議論に入った時は、もっと辛辣な意見が多かったかと思います。簡単にいうと、土木設計者は世間の声を知らないから、市民との対話をすべきだということだったかと思います。

その点では、現在、主流(多く見られる)の付箋を使って、グループを形成しながら、意見を取りまとめるというのは悪くない手法だったかと思います。Googleに聞いても、そんな感じです。

ところが、この手法は、三つの大きな手落ちがありました。

一つは、参加する人が、いつも一緒なのです。結果的に偏るのです。地域の名望家の人がほとんど参加しない、もしくは、名望家しか参加しないという、中流層しか参加しないなどの現象が多発します。このことは、最近の所得格差の拡大により、より広がっていると感じています。参加するのは高校時代のスクールカーストで上の方、県名が入った高校の出身、そして、旧庄屋層の生まれしかいない・・ということは僕の経験上多発します。当然、男性中心の成員になります。

二つめは、語られる内容がどこか似通ったものが頻発するのです。考えて見えれば当然でした。もっている知識が偏るので、大体一緒の結論になります。そして、社会集団間での対話は基本少ないので、そもそも議論がする余地すらなにのです。決め言葉は、「東京からきたコンサルはわかっていない」そうならば、行う必要性すら疑わしいです。

三つめは、落とし所を行政、コンサル、住民ともに探しにいくのです。無難なところで。いわゆる「ぶっちゃけ」話を何度もすることが重要なのですが・・・じつは会議の回数は予算上決まっていて、その中でまとめることが求められます。結論として落とし所を探すようになります。

結論としては、特定の集団の意識に配慮しつつ、役所の内部の方向性を微修正するというところで、収まるということが多かったかと思います。つまり、一般的な市民というものは存在しない。学歴・同族・地縁・家業などのキーワードで囲い込まれた社会集団だけがあり、それが合従連衡しながら地域社会を形成しているということかと思います。

となるとどうすべきかは、次回(了)

ありがとうございます!