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『なんでも鑑定団』が面白いお店

飲み屋にテレビは必要か。以前の僕なら「いらない」と即答していた。入った飲み屋にテレビが置いてあると「オレはテレビを見に来たんじゃない、酒を飲みに来たんだ」と心の中で毒づいていた。酒と真摯に向き合っていない、友達との会話の邪魔になる、そんな理由で飲み屋にあるテレビを敵視していた。

お酒の楽しさを知った二十代前半、僕はお酒を神格化していた。お酒は楽しいもので、飲めばいろんな問題を解決してくれる。そんな神聖なお酒の場に俗世界の最たるものであるテレビを置くなんて。同じような理由で立ち飲み屋も敬遠していた。立ったまま、しかも、比較的安いお酒を短時間でサラッと飲んで帰っていく。まるでワンナイトラブのような感覚でお酒と付き合うなんて考えられなかった。この感覚が変わったのは、一人で飲むことを知ったときからだ。それまでのお酒といえば、大学時代も社会人になりたての頃も、必ず誰かと飲んでいた。それが当たり前だった。

僕の初めての一人酒デビューは遅い。二十代後半、もうすぐ三十代になろうとしていた。きっかけは失恋だった。いい年した大人が失恋で初めての一人酒なんて、今思うと恥ずかしい。三十代を手前にした失恋だからこそ堪えたのだろう。誰かに話しを聞いてもらいたいという気持ちはあったが、男友達に失恋話を聞いてもらうなんて女々しくて、何よりも酒に失礼だと思い、自分一人でどうにかしようと考えたのだ。

自宅の最寄り駅にはちょっとした歓楽街があり、一軒だけ立ち飲み屋があった。存在は知っていたが、入ったことは一度もなかった。それこそ、ワンナイトラブのような気持ちで「もうどうでもいい」とのれんをくぐった。

店内にはドラム缶のようなテーブルがいくつも置かれ、壁にはメニューが書かれた短冊が並んでいる。混んではいたがそれほど騒がしくはなく、一つのドラム缶に一人ずつ客が配置され、酒を飲みながら隅に置かれたテレビを黙って見ている。

「おにいちゃん、どうする?」

疲れ切った顔をしたおばちゃんが近寄ってきた。短冊に書かれたメニューを眺めるが、どこにドリンクがあるのか分からない。

「生でいいのね」

とりあえず僕はうなずくと、そぐにジョッキがドラム缶の上に置かれた。

「350円ね」

おばちゃんが手を出してくる。ここは都度支払うシステムだった。

最初の一杯を喉に流し込む。誰とも話すことなく、ただただ店の隅にあるテレビを眺めていた。音量は消してあり、演者が何を話しているのかまったくわからない。何も考えなくてよかった。ただ生を口に運び、テレビ画面を見ているだけでよかった。僕の気持ちは落ち着いていった。

ジョッキ二杯とおつまみ数品で千円ちょっとの値段を支払い外に出ると、店先に空になったビールの樽が積んであった。そこにはとある有名ビールメーカーが発売している発泡酒の銘柄が書かれてあった。おばちゃんが言った生とはビールではなく発泡酒だったのだ。そんなことは大きな問題ではなかった。

テレビのおかげで空間と時間を自分勝手に乱暴に使うことなく、テレビという科学的な空間と時間が僕を制御してくれたのだ。もし、この店にテレビがなかったら、僕はどうにもならないことを一人でうじうじと考え、乱暴に酒を飲んでいただろう。

憧れのような存在だったお酒が、テレビのある立ち飲み屋という空間で時間を共にすることで、肩を並べて一緒に飲める友のような存在に変わった。お酒とは楽しいときにだけ飲むものではない、お酒とは人と会う口実に使うものではない。僕はお酒が好きだと言いながらお酒の本当の姿を見ようとしてこなかったのだ。

これをきっかけに僕は一人で酒を飲むことが多くなった。一人で飲んでいると話す相手がいないせいか、どうしてもペースが速くなってしまう。ペースが速くなると酔いも速くなり、もう少しこの店に居たいのに、もう少しお酒と時間を共にしたいのに、撤退を余儀なくされる。そんなときにテレビがあると、時間と空間をゆっくりと楽しむことができる。こんな効果がテレビにはあることを知り「飲み屋にはテレビが必要派」になっていった。

それから数年が経ち、立派な『一人酒飲んべえ』になった僕はとある一軒の立ち飲み屋に入った。看板はなく、ただ店先に「立ち呑」と書かれた赤提灯とのれんがあるだけだった。荒ら屋のような二階建ての一軒家で一階部分が飲み屋になっていた。一軒家といっても扉はプレハブ小屋に使われるアルミサッシで、はめ込まれた曇りガラスのせいで店内に客がいるのか外からは確認できない。『一見さんお断り』を絵に描いたような店だったが、ここで引いたら後悔すると思い、立て付けの悪い扉を開け中に入った。

店内は縦に細長くなぜか中央に段差があり、奥の空間は10センチほど高くなっている。蛍光灯の黄ばんだ鈍い光のせいか店全体がぼんやりとしている。壁はベニヤで補強されモザイクアートのようで、左右には不揃いの角材でこしらえたカウンターがあり、右カウンターの向こう側に厨房があった。

「いらっしゃい」

60代ぐらいの小太りの男性が顔を出した。トレーナーにエプロンという姿は、日曜日だけキッチンに立つお父さんのようだ。大将と呼べばいいのか、それともマスターと呼べばいいのか一瞬迷い、僕は大将と心の中で呼ぶことにした。
出入り口に近い手前の空間で飲もうかと思ったが、一段上がった奥にテレビを見つけ、奥の右側のカウンターで飲むことにした。時刻は午後8時45分頃だった。

一杯目のビールを半分ほど飲み終えた頃、大将がテレビのチャンネルを変えた。時刻は午後9時ちょうどだった。

ヘルプ!アニーサンバリー
ヘルプ!ノッチューエニーバリー
ヘルプ!アニーサムワン
へールプ
 
『海運!なんでも鑑定団』のオープニング曲であるビートルズの「ヘルプ」が聞こえてくる。

どのような番組か当然知っているが、きちんと見たことはなかった。どうやら大将はこの番組がお気に入りらしい。
酒を飲むときにテレビは必要だが、番組まではこだわらない。僕は大将と一緒に見ることにした。すると一人客の男性が立て続けに二人入ってきた。一人は50代ぐらいのスーツ姿のビジネスマン、もう一人は大将と同じぐらいだろうか、60代にも70代にも見え作業着を着ていた。まるで『なんでも鑑定団』を見るために来たかのようなタイミングだった。

『オープン・ザ・プライス!』

番組一番の盛り上がりどころで大将がぼそっとつぶやいった。

「これは30万ぐらいだろうな」

出演者の本人評価額は100万円だった。

『なんと、30万円!ざんねーん!』

鑑定の結果は大将の読み通り30万円。テレビの中の出演者が大げさに膝から崩れ落ちた。

「おー」と僕が驚きの表情をすると、大将はうれしそうに微笑んだ。サラリーマンも作業着の男性もうなずきながら微笑んでいる。

次に壺が登場した。作業着姿の男性が壺についての歴史うんちくを語る。この店にいる誰かに向けて話すというより独り言のように語るのだ。それを受けてサラリーマンの男性が「なるほど」とつぶやく。お互いに顔を合わせて語るわけではなく、二人とも顔はテレビに向けたままだ。

その後も骨董品が登場する度に、オープン・ザ・プライスのかけ声が聞こえる度に、大将と作業着の男性とサラリーマンの三人が会話のような独り言をつぶやく。まるで自宅で一人でテレビを見ているときのように。独り言のはずなのに、三人の独り言は会話として成立し僕に届く。そして僕もいつの間にかその独り言の会話に加わっていた。テレビを通じて、初対面の人と会話をする。会話といっても半分は独り言なのだから、会話が途絶えたらどうしよう、何を話せばいいんだろう、といった気まずさもない。

『なんでも鑑定団』ってこんなに面白い番組だったのか。あっという間に一時間が過ぎ、番組が終わると作業着の男性とサラリーマンは帰って行った。

翌週、自宅で一人「なんでも鑑定団」を見た僕は驚いた。まったく面白くなかったのだ。

そしてまた次の週、ぼくは立ち飲み屋に行き、その場にいたお客さんと一緒に『なんでも鑑定団』を見た。前回とは違うお客さんだったが、同じように独り言という名の会話が弾む。ここで見る『なんでも鑑定団』はとても面白いのだ。テレビが主役の立ち飲み屋、特定の番組が主役の立ち飲み屋。こんな店は初めてだった。

『なんでも鑑定団』が終わると、大将は報道番組にチャンネルを変えた。さっきまでと同じようにテレビに顔を向けたまま、ニュースに対してぼそぼそと独り言いう人もいれば、じっと酒を飲み続ける人もいる。『なんでも鑑定団』のときほどの会話はないが、テレビを通じて、勝手気ままな、けれど一体感のようなものがそこにはあった。

店によっては、テレビがないほうが過ごしやすいこともあるだろう。しかし、これまで僕が行った店で、テレビがないほうがいいのになあと思った店は一つもない。きっと店主もそれが分かっているのだろう。うちの店には、うちの客にはテレビが必要だ、ということを。テレビのある飲み屋に入るたびに、テレビは店主の優しさなのだと僕は思うのだ。

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