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剣道との出会いで成長

小学校中学年まで野球が大好きで、友だちと小学校の校庭で放課後も楽しくプレーをしていた。
いわゆる野球少年だった。

小学校5年生の時、町内会の回覧板で「剣道教室」のお知らせが回ってきた。

それまで父ともキャッチボールしており、私は「父は野球がとても得意なのだ」と思っていたが、このとき初めて知ったのだが、驚いたことに父は「剣道の有段者」だった。
そんな父の勧めもあり、剣道教室に参加。
もう一つ驚くのが、その日から父が、私の剣道の指導者になったことだ。

ここから私の剣道人生が始まる。

仲の良い友達も大勢入会し、記憶にはその当時、60人以上子どもたちが居たように思う。そして、お互いに「切磋琢磨」していた。

先生方は、やはり戦争を経験された方々が多く、非常に厳しかったことを覚えている。

例えば、靴を揃えてないと「この靴は誰のだ」と稽古中20分程正座。
自分の事は自分で責任を持てとのことだ。

そして「根性」「精神力」「気合」「行動面」等の教えを受けた。

稽古は、体当たり・足払い等気を抜くと怪我をする。
「お前なんだその弱い打ちは」
倒れると、
「早く立て」
「根性だ気を抜くな」
相手は有段者の大学生。

今思えば「とんでもない」稽古だった。
…もちろん毎回ではないのだが。

自宅に居る父は一切剣道の話はしなかった。
しかし、自宅以外で、私の剣道での話が出ると嬉しい様子だった。
(これは他の先生より聞いた話)


もちろん、勝敗にもこだわった。
中学校では剣道部が無く、1年生の頃は卓球部。

中学校2年生になり、小学校の時一緒に剣道をやっていた仲間を誘い、ようやく剣道部が認められた。顧問は体育の先生で、いきなり大学・高校の稽古に参加、恐怖感でたまらなかった。

しかし、そんな無茶苦茶な練習の結果、大会でもある程度結果を残すことが出来た。また、練習をともにした、他の剣道部員も剣道の強豪校へ進学し、様々な大会で再会した。これには会うたびに仲間たちに勇気づけられた。
今まで剣道を続けられた一つの大きな理由だ。

高校剣道部顧問の勧めで、大学に進学。

4年間剣道部の合宿所生活で、料理・掃除・洗濯・夜を楽しく過ごし、人との接し方・挨拶等様々な事を学び、成長し、現在に至る。

剣道を通して、私は多くの事を学び、本当に多くの仲間が出来た。

そして星槎との出会いがあり、現在は、ここで自分が培い学んできたものを、生徒と一緒に成長していきたいと強く思っている。


最後にもう一つ。私が良く使う言葉がある。


「人生は細く長く続けていきましょう」


久保木

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