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私と書くことと、謎のタオルの思い出

またまた腑抜けている。

春からこっち、腑抜けたままどうも治らない。うーむ。

「腑抜けている」とは、「小説の執筆が止まったまま、再開できない」の意だ。書きたい気持ちはあるのだけれど、何しろ私の場合は常日頃すみやかに書ける人間ではなく、「準備」が必要。書けているあいだはよいが、一度止まると中断が長い。むしろ今年の冬ごろに書ける時期が3か月ほどあったのは、今思うと奇跡の3か月だったのではないかという気さえしてくる。

何しろ私は、前々職の在職中、10年以上も書けずにくすぶりつづけた過去のある人間だ。10年間やったことを、再び3か月間ばかりくりかえすのは、大変容易なことである。なんのハードルもない。

さて、今日ここに書こうと思ったのは、腑抜けながらもコツコツ就職活動を続けた結果、このほど無事に再就職が決まったということだった。前々職を離れたあと2回連続で職場ガチャに失敗した私は、ようやく仕事が決まってうれしいというよりも強烈な不安に襲われ、近況報告の記事ぐらいその日のうちに書けばよかったものを、1週間先送りにした。

今日になって、もう6月が終わりに近づいており、このままだとnote月2更新ノルマが達成できないことに気づいて、取り急ぎMacBookを開けた次第である。noteのエディタを開いて書きはじめたところ、気づくと本題のはずの再就職が決まった話ではなく、「小説が書けない」という、前々職在職中から無限にくりかえしてきた繰言を、またしてもくりかえしている。

そういえば以前、某新興宗教の人に紹介されて、話を聞きにいったことがある(もちろん行ったときは新興宗教とは理解していなかった。そのころ私は体調が悪く、判断力が低下していた)。そのときは、趣味で習っている声楽をもっとうまくなりたい、というのが主旨だった気がする。紹介者は、体の上手な使い方を教えてもらえるといって、私をその人のもとへ連れていったはずだ。

しかし、さすがは海千山千の新興宗教の人。話を聞いたり、話をしたりしているうちに、気づけば私は自分自身を引きだされ、紹介者には小説を書いていたことを一度も話していなかったのに、小説を書きたいのに書けない!! という話を初対面の新興宗教のおじさんに熱弁していた。

「あなた、声楽、声楽って言って、本当は書きたいとしか考えていないわけね」「あなた、たぶん才能あるよ」などといわれ、謎のタオルを肌身離さずいると調子がよくなるというような話をされたが、幸か不幸か、当時は金欠でタオルを購入することはできなかった。タオルにしてはけっこうな値段だったのである。

なんの話かというと、表面的には別の願望を口にしていても、何かのきっかけでいつも必ず「書く」に戻ってきてしまう私という人間のことだ。再就職のことを書こうとして、書きだしてみると結局「小説書きたい」と書いている自分を見るにつけ、あのタオルのことを思いだしたのだった。

それにしても、あのとき金欠でよかった。。ハハ。。。

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