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人付合いと幸福度

※ 写真はドラマやCMで有名に成った岡本桟橋。木製桟橋と言われてるけど、木製は根元だけ



僕は
人付合いが好きと言えば好き
苦手と言えば苦手です。


どんな人に対しても
敬意と尊敬を持って接すれば、ほぼ間違いなく良い人間関係が構築されます。
そして適正な「間合い」をしっかりと取って置けば間違いなく、良い関係が生まれます。


少し(失礼だなぁ)と感じる人とでも、

(こうすればコノ人のご先祖様は喜んでくれるハズ)と態度を改めます。

マウントを取りたがる人も居ます。
基本的に、取らせてあげた方が良いと思ってます。

幼い子供が
「聞いて聞いて!」
「見て見て!」
を連発して来るのと同じ
ただ静かに聴いてやり、最後に
「すごいね」とか「頑張ったね」とか「偉かったね」と言ってあげれば、子供は大満足です。

子供は、自分の話に答など求めてません。
ただ話したいだけ

それと同じ事をやれば良い

もし
自分がこの人のご先祖様たちだったら、
(うんうん、そ〜なのかい)とニコニコと喜びながら聴いてあげてると思うからです。
そうすると殆ど上手くお付合いが出来ます。

幼子なので・・・


自分が他人に気持ちよ〜く喋れるのは、相手の聞く能力が高いからです。

そんな人に、僕もお世話になってるし、恩送りがココで出来るのなら、するべき時は今だと思ってます。

しかし
相手からの敬意と尊敬が、明らかに無い場合は、僕は人間関係を構築して行く意思が著しく低下してしまいます。

僕が好きな人は
明らかに自分よりも知識が有り、学びや気付きに敏感で熱心、前向きで自分と言う、唯一ジブンが自由に出来る人間、自分と言う商品の質をコツコツと上げている人。

そんな人が好きです。

野生の植物や虫、動物等の自分の実力で生きている生き物にも、とても尊敬の念が湧きます。
素直に生きる彼等は、明らかに僕より格上だと感じるからです。

反面
人生を学びの場であると言う思考を持ち合わせてない人や、学びこそが人生だと言う事に気付いて無い人。
長いお付合いに成る事はナカナカ厳しいです。

理由は
同じ日本語を使用しているハズなのに話が殆ど通じないからです。


そして
「私は気づいている」とか
「私は悟っている」という言葉を簡単に使う人やその気に成ってる人も少し苦手です

理由は
その気付きや悟りと言う物には、限りが無く終わりが無いからです。人は気付きと悟りと学び(反省)の連続の上に生きてるし、その学びにその人の人生の意味が有ります。

だから(素晴らしいですね)と言う言葉しか言えません。
それに、そんな(悟った)とか(気付いた)とは、全てその人の個人レベルなだけで、その人の人生限定です。

そして
上には上が存在しますので
万民に通用する事では無いですから、決して人様に発信をする様な言葉では無いのです。

これらは
始めて(気付き)を体験した人
始めて(悟り)を体験した人に多い発言です。
始めての経験だけに感動してしまった人

浅い気付きや小さな悟りを1つ得れば、次の成長の為に、もう少し深い悟りの為に、必ず新たな問題が用意されてます。
その小さな悟りの繰り返しの積み重ねが、人の人生だと思いますし、今世はそれを学び知るために存在しているのだと思います。

お釈迦様は、この世のシステムを全て理解した時に「理解した」と実感しました。
その後、自分が理解した事や自分が理解したそのやり方を人々に教えて回りました。
2600年も前の話です。

既に
ゴータマシッダールタと言う先駆者が有り、彼はそのやり方や理論を教え広めてるのです。
先輩を超える事が後輩に課せられた仕事です。
「悟った」とは、お釈迦様を遥かに超えたと実感した時にしか使えない言葉だと思います。
お釈迦様と同等程度では、きっとお釈迦様は満足しない事でしょう。

なので
この様な事を簡単に言う人は
まだまだ道の先が長い事、人間の思考の深さ、人類の歴史の長さを理解していないです。


また
こういった、沢山の種類の人々を1つの方向へ向かせる事が民主主義の難しい所でも有り、大きな欠点でもあると思ってます。
でも政治はコレを見事に利用します。

以前、小泉内閣の時、国民をABCD層に分けて「B層を狙え」と言う言葉がありましたが、本当にお見事でした。

僕はこのB層やC層の人々と接するのが苦手です。そんな人と会話をしなければ成らない時、言葉選びに凄く気を使います。自分の意思を伝えるのが難しい・・・。

姉から貰い1人で盛りあがりました

ABCD層の中でも
BやC層は群れたがる特徴があります。
マンパワーと言う力がとても強いです。
しかし群れたまま、とんでもない方向へ突き進んで行く事が多いです。

AとD層は群れずに孤独を好む傾向が強いと言われてます。

僕は
間違いなくAかDのどちらかです。

5年前
地域の議員さんから
町会議員の出馬を何度も勧められましたが、僕は人を操作する事は嫌です。以前の仕事などでの、操作されるか操作をするかの世界は、もうコリゴリです。

議員よりも
全員が幸せを感じる生き方を見つけた方が良いと思ってます。

国民を先程のABCDと言う、各層に分けるのならば、
A層の人は、基本Aの人とだけ接し、国中に分散させて住まわせる。まれにBCDと接する程度で過ごさせ、もしBCDが困っていたら、すかさず手を差し伸べる。しかし直ぐに手を引く。
A層が他の層の人々の上に立ったり、代表に成ってはいけない。

B層の人は基本B層の人とだけ接し、まれにACDと接する程度で生活する

C層も同じ

D層は、他に害を与える事は殆ど無いので放って置いてあげる。

貧富の差は、明白に出てしまいますが、幸せはお金ではない。
お金は幸せを感じる為の道具の一つですが、それは
自分の実力以上の力を体験する為の道具
そして時間を買う為の道具
ただの道具です。

お金も自分の実力で稼げないと続きは有りません。

人は幸せを感じて生きる時間が大事。
その時間が少しでも長く得られる事が大事。

その為には棲み分けをしなければ成らない。

それが以前、徳川家康、日本が行った「鎖国」の正体だと思います。

織田信長
豊臣秀吉
徳川家康

彼等は常に日本の外側を敏感に観察してました。
世界情勢、諸外国の動きを的確に掴んでいたし、諸外国が日本とは全く違う意識で政治を行っておることも知ってました。

それ故の鎖国であり、棲み分けの為の鎖国

日本と言う国が、世界で1番の武力、国力を持っていた当時だからこそ出来た政策です。

こんな土地を探し中です

以前
ブータンと言う国の国民は、世界一幸せを感じて生きていると言うニュースが有りましたが、現在はインターネットの普及により、国民の幸福度がガタ落ちしてしまったと聞いたことがあります。

しかし
それは「比較」と「お金と欲」に心を奪われてしまったからではないのでしょうか。

本当の幸せや幸福は
いつも家族が楽しそうで
いつも子供や嫁さんが笑っていて
いつも爺さん婆さんが知恵を授けてくれる
そこには
最低限の衣食住が備わっているだけ
それで良い。

生きていれば、必ず問題が起こります。
自分で解決出来ない問題は、親やお爺さんに聞く
親やお爺さん達も同じ年齢くらいの時に、同じ様な問題を経験しているし、その問題を先祖の知恵を使うことによって問題解決方法を既に経験済な事が多いので、子供や子孫達を迷わす事はない。

それは先祖からの伝承だったりする。
先祖からのの教えや知識をしっかりと受け継ぐ事。
そして、家族の生活に必要な物は、なるべく家族だけで自給出来る様にする。

他人や社会に頼らなくても、最低限の自給が出来ていれば、もし、社会や国に何か大事が起こっても、その時に家族の一部の人は国や社会の復活の為に貢献できる。

それが安定した生活であり
安心を得られる生活

先ずは生活基盤を安定させる事

お金は生活基盤を安定させる為の一時的な代用品、本当の安定はそこにはない。

それが出来てこそ
女性は家を守る事が出来
男性は社会や国に貢献が出来る。

多分
人間はそれだけで、充分以上に幸せな人生を過ごせるのではないのでしょうか。

たとえ
親しい友達が1000人居たとしても
家族の人間関係が壊れていたら、幸せは感じられません。

だから
友達100人なんていらない
まず家族を守る事、家族を楽しくさせる事。

その為には
無理にお金を稼ごうとしない事。
数千万円もする家等を無理な借金をして買わない事。
実力以上の高い買い物をしない事。

現代は、お金によってその家族を破壊してしまう事が多い。
お金を稼ぐ事に追われ、自分を幸せにさせてくれる存在である一番大切な家族の人間関係が崩れてしまう事が多い。

妻は、幸せの拠点となる家や土地を欲しがり
夫は、その要求に最大限応えようと、本当は興味は無いけれど、家や土地に無理な借金をして手に入れようと頑張る。
女は欲しがりで男に甘えて崩壊し
男は見栄っ張りで崩壊する

どちらが悪い訳では無い
妻は、家族の幸せを更に深める為に家を欲しがり
夫は、愛する妻の笑顔を見るために見栄を張る。

しかし
どちらも
自分の実力では無い。

せっかく手に入れた家も、数年経てば壊れてくるし築23年経ってしまえば家の価値は0円。
国が行う家屋の評価格には値段を付けられているが、それは税金を少しでも多く取るためだけの理由でしか無い。

価値が有るのは土地だけで、借金はまだ10年以上残るように成っている。実質マイナス決済。
お金の奴隷の出来上がり。

でも
お金は、有れば有ったで有るだけ良い。
しかし、生活に最低限のお金が有るだけでも充分に幸せ。
今の自分の実力に見合った行動を取る事が大事。
自分の実力を上げる事に力を注げば、実力は必ず上がる。
自分の実力が上がれば、自分の実力に合わせた道具を手に入れれば良いし、幸せも継続する。

計画は、無理をせず、必ず長期計画で立てる事。
長期計画ならば、家庭内の突然有事にも対応可能です。

「今欲しい」と思っても時期と実力を確認する事が大事。

比較も、他と比較することでより良い物が得られるようになる
しかし
他人と自分を比較するより、過去の自分と現在の自分の成長を比較の方が数段有益である。

幸せには
他人は他人独特の幸せががあり
自分には自分独特の幸せが有る。

幸せは他人の生活と比較するモノでは無い。

でも
本当の幸せは「家族と自分」、「自分と家族」。
ただ、この「関係」が良好なだけで得られる物。

家族の目的は「幸せの継続」である

そして
夫婦はその幸せを継続させるために「常に」努力し判断をする。
自分の実力以上を行う事は「継続」が出来ない可能性が高まる。
夫婦も家族も人間関係は「常に意識して作る」もの。
夫婦や家族は、結婚したから出来上がったものでは無い。

幸せを継続出来る様に
常に意識して作る関係が夫婦であり、家族である。

幸せを継続出来ない恐れの有る判断は
不幸を招く第一歩

この「家族と自分」の関係性を忘れてしまうと大変な事が待っている。

家族との関係をなしで
「お金」と「比較」を考えると、最終的には不幸しか訪れない。

僕の家族というのは
家庭という血族以外に大切に思っている人や仲間も家族だと思ってます。

鋸南町の夕日

令和の鎖国

どうやったら出来るのだろうか・・・。


そんな世界がつくれたら良いなと思ったりする今日此の頃です。


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