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『休薬期間中。79日目』

ゆめをみた。
その、原因はわかっている。私がブーツを再び緑色に染め上げたからだ。
ゆめの内容はたいしたものでもない。私の部屋のテーブルから巨大なゴーヤが育つゆめだ。ブーツとゴーヤが入れ替わっただけだ。ただ、それだけのゆめだった。それが、奇妙でよかった。私はゆめのなかで、ゴーヤを生でがしりがしりと、しっかりかみ砕いて食べていた。

私のいまは、ひさしぶりに『がんかわいがり』の副作用のない状態だ。
6月からは、再び『がんかわいがり(化学療法)』が始まる。
すると、私の味覚異常が起こる。『甘加減』がバグるのだ。だから、ゆめのなかの私は平気で生のゴーヤを食べられたわけだ。その辺りはまったく変ではない。ほんとに食べられてしまうのだ。じっさい食べられた。

「甘かった」とは、言わない。
そこまで『甘加減』はバグってはいない。「おいしゅうございました」と、平気で食べられるていどのものではあった。副作用も色々だ。当初あった副作用がなくなったりする。1クール目の私のおならは酷く臭かったものだ。が、いまでは、その臭いも減じた。『慣れ』だけではないだろう。確かな、『むかしなじみ』のおならがでている。

話はかわる。私は小説を校正中だ。で、一応読み返しながら段落を付けている。つじつまがあっているのか不安になりながら校正している。
『エッセイのほう』は、つぶやきを入れると、200を超える。もう、いちいち段落を入れて、句読点に気を配り、校正するのは諦めている。エッセイは読みやすさ重視でいいのだろう。5,6行書いて、1行空ける。そんなかんじが読み手(スマホの方も)にとって、丁度いいのだろう。縦書きだったら、段落を最初から付けていただろうけれど。

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