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『ま夏。八月十五日。終戦記念日。手術延期』

肝臓がんの手術が延期になった事は昨日書いた。
ひょっとすると、セカンドオピニオンで幾つかの病院を受診すれば、この状態でも「手術はできる」という外科医はいるかも知れない。私も当初「それでも、手術をしてほしい」と言った。けれど、想像してみた、このまま一生退院できずに入院暮らし、そのまま終末病棟ゆきの未来が見えてしまった。
『リスクの選択』だ。どちらを選んでもリスクはある。私の希望は最後の最後まで家で過ごす事だ。そして、最後の最後までバイクで走る事だ。自分の下の世話ができなくなるまでは『家』がいい。

肝臓は沈黙の臓器と言われている。御多分にもれず、私にも自覚症状はない。抗がん剤は、癌細胞は勿論、正常な細胞をも攻撃する。両方をかわいがるのだ。その結果、細胞両成敗で、どちらにもダメージが入ったというところだろう。私の抗がん剤による副作用も激しい。まだ、幾つか試せる抗がん剤があるようだ。抗がん剤治療とは、結局のところ相性なのだろう。

終戦記念日だ。めずらしく神棚に手を合わせよう。寝転がりながら「ぱんっぱん」世界平和を祈った。私の体調はいい、ただ私が億劫で不敬なだけだ。新潟にも墓参りに行きたいのだけれど、それもこれも次の抗がん剤次第だ。予定がたてられない。「もっと下痢がひどくなる可能性もあります」と、主治医には言われた。私は心の中で「いや、それはない」と思った。一日、四十回の排便はないだろう、と。起きている時間が十五時間として、一時間に三回の排便で四十五回だ。あるな。というか、これまでもあったな。五分に一回を五連発とかザラにあった。しかし、もっとひどい下痢になったら私は下痢で死ぬのではないか。

あとで、きちんと神棚に手を合わせよう。まだ、眠いのだ。

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