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『十二支獣』

それは見るからに神獣といってよかった

皮膚は寅のように黄で
龍のような尾は海を越えて長く
羽ばたく姿は鳥そのもの
右耳はうさぎのようにぴんとしているし
まるい左の耳はねずみ色
雲沸き立つ毛は羊
赤い舌は艶めかしくちろちろ出入りする蛇
猪の牙は逞しく
犬の要素はおそらく鼻で
頬は猿のように赤い
空を駆けるさまは馬のように忙しい
その体躯は牛の鎧だった

「十二支獣だぁ」
十二支獣が空でじたばたしている。そう見えるのは気のせいで、じたばたしている部分は残像だった。
或いは、神の領域とは滑稽なものなのかも知れない。黄色いパッチワークが空を流れてゆく。
そもそも我々の仕組みと神獣は違うのだ。
私は私に、そう、言い聞かせている。
神獣は巨大すぎて、鈍重に見えなくもない。マッハなのに。
龍の尾で飛んでいるのか、有翼で飛んでいるのか、明瞭ではない。どこからマッハを生み出しているのだろうか。
なにがなんのために機能しているのか、我々にはわからないのだ。
ただただ、見惚れてしまう。
機能美はない。すっきりもしていない。それも残像の部分だ。
或いは残像とは夢かも知れない。

あたたかすぎる大晦日の昼の夢だ。大晦日の昼が、散歩日和だなんて、私は知らない。だから、神獣が現れたのだろう。
我先にと十二支獣の、十二ある『支獣』の部分が争っているように見える。それも、あたたかすぎる大晦日の昼が引き起こしたのだ。
西に流れてゆく十二支獣の尾が空に雲を生んでゆく。
これから、雨が降るのかも知れない。

神獣は、あたたかすぎる大晦日のこれからを雨で濡らして、我々の頭を冷やすのだろう。

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