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『5クール。118日目』

来週の火曜日で5クール目をいったん区切ろう。それから、長い休薬期間に入る。7/19日にCT検査があり、7/26日にその結果が判明する事になった。このことから、7月は10日から自由の身になれる。体調が許せば、バイクで何処かへ行けるかも知れない。20日~25日あたりがいいなと思っていたら、世間は夏休みかもしれない。私は、未婚の子無しなので学生事情に疎い。いつから夏休みに入るのだろう。

さて、私は抗がん剤治療により随分変わった。大のサッカーファンの私がユーロ2024を一試合も観ていない。事実上の決勝戦などと言われている、ドイツ対スペインも悠々と見逃した。ダイジェストしか観ていないのだ。この暇な私がだ。『がんかわいがり』とはこういうものなのだ。有が無になり、無が有になる。強制的に、私があらぬほうに捻じ曲げられている感覚だ。

植物愛に目覚めたり、サッカーへの興味を失ったり、梅雨による極端な『尻餅底付感』、バイクのタイヤがぺしゃんこになって、ショックアブソーバーが抜けたように身体が重い。これにより、私は梅雨よりも40℃に迫る猛暑日のほうが調子がいい事もわかった。どうかしてしまったのだろう。どうかしてしまった私をいまの私として受け入れよう。

『むずむずディストラクションスロウガンズ』だ。確かな意味のない語だ。
『さわやかにかけぬけるようにあきらめる。またはあきらめない』、どちらでもいい。和訳すると、より曖昧になる。
『風鈴の鳴りは風が吹くまでわからない』、そんな意味でもいい。
めずらしく、詩情がわいてしまったな。

そう、新スマホに変わった事により、この春まで使用していた『X』のアカウントについぞ辿り着けなかった。私の能力不足だ。前の前あたりに使用していたアカウントには辿り着けたので、よしとしよう。しかし、『X』からのnoteへのログインには成功していない。noteのスマホアプリからいけばいいのだから、これもこれでよし。

前の前のアカウントでは、フォローしている人物も多少違う。そこで、久しぶりに片岡凛なる年若い俳優の『X』を読んで、その文才と言語感覚に私はぐうの音もでない事を思い出した。前、読んだときも、ぐうの音も出なかった。いつ読んでも、ぐうの音も出ない。将来、小泉今日子さんに続くような、書ける俳優になってもらいたいものだ。その父親もコピーライター的な仕事をしているはずと記憶している。

因みに片岡凛さんは群馬出身であるらしい。私の仮説では、群馬出身で異常にするどい言語感覚の持ち主はぜんぶ「からっかぜのせい」という事になっている。ま冬の物悲しい夕暮れを、からっかぜを受けながらひとりでとぼとぼ歩いた禅問答のような時間が、言葉の角をとって磨いた。そんな仮説を4半身4半疑で信じている。

萩原朔太郎、糸井重里、あだち充。これらの者たちの後を継げる人物だと思う。あだち充の言葉選びと、間も「からっかぜのせい」だ。この漫画家の言語感覚も異常にいい。その部分を評価する者をみた事はないが。いい。私がわかっていれば、いい。

片岡凛さんが、世間で知られた存在であるのか私は知らない。ロウガンズなので、その容姿もよくわからない。テレビで見た事があるのかどうかさえわからない。ので、俳優としての実力は留保しておこう。ただ、罵詈雑言の『X』のなかで、一服の清涼剤のような巧みな言葉ですっくと立っているさまは大変見事だと思う。
つまり、凛としているのだ。

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