#8 ホテル暮らしの日記 :内省

このnoteは誰に見せるとかではなく、あくまで日記のつもりで書いているので、どこの誰に有益かとかは考えないようにしている。
日記のくせにそんなことを考えていては、生意気だという気もしないでもない。

なので今回は、自らの言動に対する反省をつらつらと書いていくこととする。

・言葉と行動の不一致
私は時折これをする。
かつては「起業する!」とか「ライターとして独立する!」とか周りに吹聴して回ったこともあるが、いずれも実行していない(起業に関してはVCに事業計画書を見せるところまでやったが、可能性を疑われたことに拗ねて辞めた、その程度の執着ではきっと初めてもうまくいかなかっただろう)。
これは実に情けないことで、人間として未熟であるということを自ら周りに見せびらかしているようなものである。
周囲の人間には行動力があると見られることが多いが、私自身の感覚としては「やる」と言ってやらなかったことの方が多い気がして、どうもその評価を素直に受け取ることができない。
本田圭佑選手のように、幼い頃から自らの目標を掲げ、そしてそれを叶えることのできる人間は本当に尊敬する。私には到底できない。目標を掲げると、その目標に縛られているような心持ちがしていつの間に逃げている。
この特性に気がついてからは、自らが実行に移そうとしていることはそう簡単に口外しないように心がけている。もし口外してしまった時には、自分がそのプランを実行するということを期待しないようにしている。「口外してしまったからには、多分これはやらないだろう」という風に、少し自分を諦める。

・見返りを求める貧しさ
私は誰かに手を差し伸べると、ついその見返りを求めてしまう。
これは自分の精神が実に貧相で、欲するものが他者によって差し出されることを期待しているからである。
親切や他者への愛情は、見返りを求めることが目的なのではなく、それ自体が目的でなければならないはずである。子供の頃の私はそれができた。
ある日友人が池に落ちた時には考えるより先に体が動き、見返りなど勘定に入れずに全力で手を引っ張った。
それを思い返すたびに今の自分の薄汚れた価値観を戒める。
それでもなおその癖を直せていないのが現状で、どうしたら良いものかと悩んでいる。とても馬鹿らしい、悩む暇があればそれをしろと言いたいが、それができずにいるのは自分である。
ふと記憶を遡れば、つい先日は「私の誕生日が近いから」と、友人が私の分の会計まで払ってくれた。しかし私はその計らいを遠慮するでもなく、それを図々しく拝受し、お返しにお礼の言葉をかけたくらいである。
歳を重ねるたびに、周りから受け取るものと自らが還元できているものとの差分をますます強く痛感し、自分の精神的貧しさを早く克服しなければと焦燥感に駆られる。
受け取っているばかりの人生は、普通の良心を持ち合わせていればきっと不幸に違いない。だからこそ「要求する自分」を常に嫌い、ついには私の中から追い出してしまう方が良いだろう。

・嫉妬
自分より若いのに結果を出している人間や、自分より優れた人間を見て恨めしく思うことがある。この嫉妬という感情も、先にあげた貧しさが原因になっているのだろうと思う。
「自分にはこれくらいの価値があるのだから、これくらいの対価は与えられて当然だろう」というふうに頭のどこかで考え、しかし与えられて当然と考える対価さえ与えられないので、十分な報酬を得ている人間が恨めしいのだ。
私はこういう醜い感情をたっぷりと持ち合わせた人間なのだ。自らを過大評価し、周りばかり見て、ぱっと見が他人に劣っていると悔しくてたまらない。傲慢という言葉が非常によく似合う。
悟ったような口ぶりをすることも多いが、それはこういった感情を抑え、忘れようともがいている故の言動だったりもする。
ホテル暮らしをするのは、他者との比較に疲れたというのが理由の一つなのかもしれないと、最近になってわかり始めた。周りの目が気にならないからこんな生活をしているのではなく、集団の中にいると他人の目ばかり気にして自分の至らなさがついに嫌になってしまうので、そんな気持ちに苛まれるくらいならたった1人で生活する方が気楽で良いという感じだ。

色々挙げたが、もちろん私には良いところもたくさんある。
・人を楽しませられること
・独特な視点を持っていること
・動植物に対する普遍的な愛を持っていること
・色男
・感謝と謝罪の言葉を忘れないこと
・自らの哲学を持っていること
・健康的な肉体
・知的好奇心が旺盛であること
・直感に優れていること
・冷静であること
・中立的にものを見ること、などである。

しかしこういうのは「良いところは当然として見過ごし、悪いところと正直に向き合う」というくらいが最もバランスが取れているような感じがする。

理由としては、良いところは好き・得意でやってるから良くなっているのであって、ほっといてもより優れる方向に進むだろうと考えるからである。
この法則に従うと、悪い方は下手・苦手だから悪くなっているのであって、放っておくとロクなことにならないような感じがするのだ。
だからこそこれ以上悪くならないように目を光らせる。
しかし改善して絶対によくするというのではなく、自分で欠点を認識して目を向けておくのみである。
下手に手を加えてこれをならそうとすると、他の部分にも影響が伝播してせっかくの何かが損なわれるような気がするからだ。

まあそんな感じ。

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