ヤバい女にタゲられて人生をめちゃくちゃにされそうになった結果、なぜか小説家になった話【第9話:オーバードーズ、やってみた♪】

親しい作家の仲間うちでは鉄板ネタの笑い話として消費している『ヤバ女話』だが、今回のエピソードはさすがに笑い話にするのが難しいので、これまで一人の友人にしか話したことがない。
ほぼ初出、ほぼ本邦初公開、だけど僕にとってはのちの人生観に影響を及ぼすほど重要な経験だ。文字にするのは僕にとっても少し勇気が必要だが、僕の経験談が救いになる人がいると信じて、書くことにする。

その日も僕は、マユミに同行してパチンコ店に入った。
前述した通り、僕はギャンブルが好きではない。
ギャンブル運もないと思っているし、有り金を一瞬で失うかもしれないスリルは、少なくとも僕にとって好ましいものではない。
パチンコも大学に入ってから友人に連れて行ってもらったが、楽しさが理解できなかったので以後、足を向けることもなかった。

いっぽう、マユミはパチンコ・パチスロが好きだった。
前職が有名ゲームメーカーだったので娯楽として学ぶ点が多いとかなんとか正当化していたが、好きなものを好きというのに理屈をこねる必要はない。単純にギャンブル好きだったのだろう。パチンコ・パチスロが好きという友人は僕にもいるし、それを理由に好きにも嫌いにもならない。好きなものを好きなように楽しめばいい。
ただ、興味のないことを無理やり共有させられるとなると、話は別だ。
毎度パチンコ店に同行させられるのに、僕はうんざりしていた。
ギャンブル自体が性に合わないのもあるし、マユミが負けると不機嫌になるのが、たまらなく嫌だった。
不機嫌になったマユミほど、恐ろしいものはない。
なにを言ってもなにをしても機嫌が回復することはなく、些細なことで理不尽な言いがかりをつけられ、尊厳を踏みにじるような言葉を投げつけられる。

あの日、マユミはミリオンゴッドを、僕はアントニオ猪木のパチスロ台を打っていた。一階と二階でパチンコとパチスロが分かれている、五反田のパチンコ店だった。
パチスロについての知識がほとんどないので間違ったことを書いていたら申し訳ないが、僕がマユミから離れてアントニオ猪木の台を選んだのは、ミリオンゴッドという台の射幸性が高かったからだ。当たるときはでかいけど、呑まれるときはとんでもなく呑まれるみたいな説明をされて、ならやめとこうと思った記憶がある。あと、単純にプロレスが好きだった。

あの日、入店した時点で閉店までそれほど時間もなかったと思うが、僕は小当たりして8,000円勝った。ギャンブルは好きでなくても、負けるよりは勝つほうがいいに決まっている。お金も苦しい中で、生活費を削ってパチスロに突っ込んでいる状況だった。嬉しかったし、なにより命が繋がったような気がしてホッとした。
閉店時間が近づき、マユミの様子を見に行くと、眉間に皺を寄せた彼女が全身から暗黒オーラを発散していた。
片眉を持ち上げた凶悪な表情をしながら脚を組み、親指で怒りを叩きつけるようにスロットのボタンを押していた。
パチン! パチン! パチン!
台を壊しそうな勢いだ。
確認するまでもない。
有り金ぜんぶスッてしまったようだった。
僕だけでも勝てて、本当によかったと思った。

しかし勝利を報告すると、彼女は不機嫌そうに僕を一瞥し、「私が遊びに来たのに、なんであんたのほうが楽しんでいるんだ」と吐き捨てた。
楽しい空気をぶち壊す天才だった。
店を出てから僕が換金した8,000円を差し出すと、「こんなものいらないよ」と投げ返された。札束(というほどの金額ではないが)を投げつけられるというのも、人生でなかなか経験できることではないと思う。安っぽいドラマみたいだ。たまにXなどのSNSで、歌舞伎町のホストと客が繰り広げる愁嘆場を盗撮した動画が流れてきたりするが、もし当時SNSがあったら、僕らも格好のネタになっていたと思う。
いま同じ目に遭ったら、かっと頭に血がのぼるし、無礼な振る舞いへの怒りだって表明できる。だが完全にマユミに支配された当時の僕には、そういう感情が湧いてこなかった。そうでなければ、マユミの不機嫌を収めようと、勝ったぶんの金を差し出すなんてしないだろう。完全なる奴隷ムーブだ。
地面に散らばった札を拾い集めながら、ひたすら屈辱的な気分だった。

その後、マユミのアパートに帰ると、彼女は薬を飲んで眠ってしまった。
布団に入ってきちんと睡眠を取るのではなく、疲れたからちょっと休憩する、という感じだ。
背もたれを少しだけ持ち上げた座椅子に横たわり、腰のあたりにタオルケットをかけて休むのが、彼女の定番スタイルだった。
ローテーブルの上には、彼女が飲んだ睡眠薬の残りと、あとはよくわからない精神系の薬のシートが何枚か置いてあった。

それは苦しい死にたいと訴えて、弱者を装うための道具だった。

本物の弱者ではない。

こいつは弱者を装って被害者ポジションをとることで他人を支配し、思い通りに操っている。

マユミの安らかな寝顔を見るうち、無性に腹が立ってきた。
怒りが遅れて湧いてきたようだった。
なんで僕は、こんな目に遭っているんだ。
自由を奪われ、バンドはバラバラになり、友人と会うどころか満足に連絡すらできず、借金は増えるいっぽう。
別れようとしたら自死をほのめかされたり、包丁を持ち出される。池袋に住む妹に危害を加えると脅されたこともあった。
警察も助けてくれない。不安定になったマユミが大声でわめき散らした際、近所の住民から苦情の通報をされたことがあるし、マユミ自身が通報したこともあった。仲良くやってね、と警察官に注意されて終わった。
仲良くなんてしたくない。
いや、仲良くしようと思ってもできないのだ。
マユミには人間関係において対等という概念がなく、上か下か、支配するかされるかしかないようだった。
マユミと仲良くやるということは、支配され続けるのと同義だ。
そんなのはいやだ。
耐えられない。

最初は殺そうと思った。
睡眠薬を飲んでぐっすり眠っているし、腕力では圧倒的な差がある。
本来なら、恐るるに足る相手ではない。

でも、できない。
人を殺したという十字架を背負って生きていける気がしない。
それに殺してしまえば、こちらが圧倒的な悪者だ。
自分がいかに追い詰められていたか、彼女がいかに卑劣な手段で僕を支配していたかを公判で訴えたところで、信じてもらえる気がしなかった。身近な人間にすら信じてもらえないのだ。
彼女に虚偽の情報を吹き込まれた関係者が、証言台で僕をあしざまに言う姿が脳裏に浮かんだ。

――以前、被告人の暴力に悩んでいると、マユミさんから相談されたことがあります。被告人はギャンブルにのめり込み、借金を重ねていたようです。マユミさんはそんな被告人を献身的に支えていました。別れたほうがいいよとアドバイスしていたのに……。

暴力を振るうクズ男に殺されたかわいそうな女性という構図を成立させてしまうのは、あまりに癪だ。かりにマユミが死んだ後でも、ぜったいに彼女に利する結果にはしたくない。

僕は衝動的に、テーブルの上にあった薬をすべて飲んだ。
どうしてあんなことをしたのか、自分でもわからない。
他人を傷つけようとする自分を止めたかったのかもしれない。
オーバードーズするマユミの気持ちを知りたかったのかもしれない。
致死量にはほど遠かったので命の危険はないが、意識が戻らなかったら戻らなかったでかまわないという考えは、間違いなくあった。
そういう意味では、自殺未遂になるのかもしれない。
とにかくどん詰まりの状況から逃げ出したかった。
その先にあるのが、死でもかまわなかった。

薬を水で流し込んだ僕は、そのまま横になった。すぐに意識が薄れるものとばかり思っていたが、薬が効き始めるまでには意外に時間がかかった。けれど、ある瞬間にふつりと意識が途切れた。
どれぐらい眠っていたかはわからない。
目が覚めた僕は、マユミに髪の毛を鷲づかみにされていた。
大量の薬を飲んだ影響で、意識が朦朧としていた。自分の唇の端から垂れたよだれが糸を引いていたのは、よく覚えている。
マユミは僕の髪の毛をつかんで激しく頭を揺さぶりながら、こう言った。

「おい! なにやってるんだ! 私の薬だぞ! 返せ! 勝手に飲みやがって!」

それから僕の頬を平手打ちした。
何度もぶたれながら、そう来たかあと、ぼんやり考えた。
僕の身を案じる言葉すらなく、薬を返せ。
まさかそんな角度でなじられるとは、想像もしていなかった。
ダメだ。この女には人の心がない。
悪魔だ。
この女につきまとわれ続けるぐらいなら、死んだほうがマシだ。
なにがあろうと、ぜったいに別れてやる。
そのとき、固く誓った。
(続く)

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