ヤバい女にタゲられて人生をめちゃくちゃにされそうになった結果、なぜか小説家になった話【第15話:思いがけない副産物】
そのころ、マユミはふたたびバンド活動に介入するようになっていた。
マネージャーとして名刺を作り、森田から買い与えられた高価な一眼レフで、僕のバンドを被写体にカメラマンごっこをしていた。
幸いだったのは、マユミと離れている間に加入させたメンバーにたいし、僕があらかじめマユミの虚言癖について話をしていたことだった。加えてそのときのメンバーはなぜかメンタルヘルスに問題を抱えた女性と交際経験のある者ばかりだったため(なぜか、ではないか。バンドマンあるあるだ)、マユミの虚言に惑わされることもなかった。おかげで彼らとは、いまでも友人関係を保てている。
しかしそれでも、活動に介入しようとするマユミの存在は邪魔でしかなかった。対バンイベントに出ると、マネージャーです専属カメラマンですと名刺を取り出して真っ先に対バンに自己紹介しにいく。ファンを選り好みして嫌いなファンを追い出そうとする。声をかけてきた事務所やレーベル関係者との窓口になろうとしゃしゃり出てくる。おそらく僕の知らないところでの暗躍も多々あっただろう。
当時僕のバンドは事務所にこそ所属していなかったが、レコーディング費用を負担してくれるスポンサーがついていた。不動産取引で莫大な富を手にした社長が、道楽で始めたイベントプロデュース会社だった。演劇やライブ観賞が趣味の社長の税金対策なので、金は出すけど口は出さないという理想的なスタンスだ。おかげで下手な事務所に所属するより、よほど自由に創作に集中できる環境があった。しかしそのスポンサーとも、そこの社長とマユミが揉めたせいで縁が切れた。社長が女性だったのが気に食わなかったのだろうが、あれは本当に堪えた。このスポンサーとの契約解除の一件で、ぷつんと気持ちが切れた感があった。
マユミが撮影した写真をアルバムジャケットに使用した話はすでに書いたが、ライブごとに制作し配布するフライヤーの写真も、マユミの手によるものだった。マユミはそれらすべてに、カメラマンとして自分の名を載せるよう要求した。それ自体おかしな要求とまでは言わないが、メンバーと並列に表記されるとかなりの違和感がある。
ヴォーカルギター、ギター、ベース、ドラム、カメラマン。
カメラマンがステージに上がってパフォーマンスするなら問題ないと思うが。
当たり前の話だが、スタッフをファミリーの一員として大事に扱うのと、バンドのメンバーかのようにクレジットするのは違う。
マユミがバンドを応援しているのではなく、バンドを自己実現の道具にしようとしているのは明らかだった。
自覚があったかまではわからないが、少なくとも潜在意識レベルにおいて、マユミはバンドに成功してほしいとも思っていなかった。本当に売れてしまったらかかわる人数が増え、自分の思う通りにはできなくなるのだから。カメラマンだって専門的な知識と技術を持ったプロにお願いすることになれば、素人のマユミなどお呼びでなくなる。
彼女にとって、僕のバンドは自由にできる玩具だったのだろう。
好きなようにいじり回せるし、多少乱暴に扱っても壊れない。かりに壊れてしまっても、必死に修復するのはマユミではない。僕だ。
途中から自分のバンドでも、自分の音楽でもなくなったような気がしていた。ひたすらマユミの玩具をメンテナンスしている感覚だ。そんな作業にメンバーを付き合わせるのにも、申し訳なさを抱くようになった。
それでもバンドをやめるふんぎりがつかなかったのは、音楽こそが自分のアイデンティティーのように思い込んでいたからだ。長崎から単身上京したのも、音楽活動のためだった。
心理学用語に『サンクコスト効果』というのがある。成功しないのはわかっているのに、それまでの投資を惜しんで事業を中止できない心理状態のことだ。一度始めてしまったことは、ある程度続けるとやめるほうが難しくなる。
当時の僕がまさしくそうだった。
自分に特別な才能がないのにはとっくに気づいていたが、せめて完全燃焼して限界を思い知らされないと諦めがつかないと考えていた。やりきった感がほしかった。
しかしマユミがいる以上、それは望むべくもない。重たい足かせを嵌めた状態でなんとか体勢を整えようとしてきたが、もう無理だ。音楽活動どころか日常生活すらままならない。マユミの浮気をきっかけにようやく離れることができると期待したものの、目論みは外れた。
そんなとき、ドラマーからバンドを抜けたいという相談を受けた。彼とは友人として馬が合ったし、僕の置かれている状況を理解してくれてはいたが、理解するのと活動をともにするのは別の話だ。むしろ理解しているからこそ、自由に音楽活動をするためにバンドを抜けるという結論に至ったのだろう。僕は彼の申し出を承諾した。
これまでだったら即座に後任探しを開始するところだが、もうそんな気力は残っていなかった。バンドに誰が入るかは問題ではない。諸悪の根源が僕の隣にいるのだから、誰が入ろうが結果は見えている。
マユミがいないときにメンバー全員で話し合い、その時点で決まっていたライブの日程を消化し終えたらバンドを解散することに決めた。ドラマー以外のメンバーもそろそろ別々の道に進む頃合いだと感じていたらしく、反対意見は出なかった。
さて、問題はマユミだ。
案の定、解散の意向を伝えると、マユミは頑強に反対した。そもそもおまえが歌ってるわけでも演奏しているわけでも、曲を書いているわけでもないだろうと思うが、彼女にとってバンドはお気に入りの玩具だった。メンバーの意思など関係ない。僕自身が音楽にアイデンティティーを求めたのと同じように、いや、下手をするとそれ以上に、マユミは僕のバンドと自らを同一視していたのかもしれない。
ここまで続けてきたのを諦めるのか、やめてどうするんだと詰め寄るマユミに、僕は答えた。
「小説を書く」
さすがのマユミも、意表を突かれたようだった。僕にはそれまで読書の習慣がまったくなかったし、小説家になりたいと口にしたことすらなかった。実際、小説家に憧れたことなどなかった。マユミは僕が雑誌以外の本を読んでいる姿すら、見たことがなかったはずだ。
しかし少し前から、僕は小説を読み始めていた。ブックオフで買い込んできた小説を、マユミの不在時やスタジオやライブの待ち時間に読むようになった。読み始めてみるとそれまで敬遠してきたのを後悔するぐらいおもしろかったし、貧乏人にはそれほどお金がかからない娯楽というのも魅力だった。もともと映画は好きだったので、物語コンテンツを楽しむ素地はあったのだと思う。
とはいえその段階では、プロの小説家を目指すなどという次元ではなかった。何冊か読み終えて、小説って意外におもしろいじゃん、と認識をあらためた程度だ。
それでもマユミを納得させるには、音楽に代わるなにかが必要だった。たんに音楽をやめるというより、ほかにやりたいことが見つかったから音楽をやめるというほうが説得力が増す。
「もう音楽はやらない。小説家を目指す! 僕には小説しかないんだ!(大嘘)」
僕は熱弁を振るった。
ライブハウスのブッキングマネージャーに顔が利くわけでもなく、事務所やレーベルとのコネもなく、リハーサルスタジオを予約する方法すら知らず、「必要なレンタル機材ありますか」というスタジオ従業員の質問に答えることもできない自称マネージャーに、やる気を失ったバンドマンを動かすことなどできない。マユミには人と人の絆を破壊してやる気を失わせることはできても、人と人とを結びつけてやる気を起こさせることはできない。
それでも納得しないマユミに、解散ではなく無期限の活動休止という妥協案を出した。マユミは渋々、僕の提案を受け入れた。
スケジュールをすべてこなすと、バンドは動きを止めた。活動休止と謳っているが、僕の中では実質解散だ。活動を再開するつもりはなかった。
僕はただのフリーターになり、借金返済のためアルバイトに精を出した。スタジオリハーサルとライブがなくなると、月の稼ぎのうち半分近くを借金の返済に充てられるようになり、繰り上げ返済できるようになった。バンドって金がかかってたんだなと、あらためて思った。
そしてバンドがなくなると、マユミへのストレスも大幅に軽減された。なにかが起こると活動に支障が出るかもしれないと、バンドを人質に取られたような心境だったのだ。バンドさえなければ、迷惑をかける恐れがあるのはアルバイト先のコンビニぐらいしかない。それだってせいぜいシフトに穴を空ける程度で、僕がいないとどうにもならないほどの問題ではない。マユミが不安定になっても、バンドという人質がないだけで精神的にはだいぶ楽だった。
そして僕は最後のライブの少し前から、本当に小説を書き始めていた。
強引に押し切るかたちで活動休止を決めたものの、マユミはずっと納得していないようだった。小説を書くなんて言っているが、すぐにまたバンド活動を再開するだろうと高を括っているふしがあった。だから行動で示す必要があった。いわばアリバイ作りだ。
目標がないと張り合いも出ないので、『公募ガイド』で新人賞を調べ、Yahoo!JAPAN文学賞に挑戦してみることにした。
募集しているのは6,000字から8,000字の短編で、長編よりハードルが低く感じたし、そのときちょうど第1回の募集を開始したところだったので、応募原稿のレベルもそれほど高くないのではという計算があった。
処女作すら書き上げていないわりにえらく小賢しいが、もともとそういう戦略を考えるのは好きだった。バンド時代もフロントマンとしてステージ中央に立つより、サイドマンに徹して運営を担当していた時代のほうが性に合っていた。どのライブハウスにデモテープを持ちこむか、どの事務所にアプローチをかけるか、どうやってライブの動員を伸ばすか。作戦を考えては試行錯誤するのが楽しかった。なにをすればライバルに先んじることができるのか。市場にはなにが求められているのか。実際にやってみるとわかるが、バンドの運営はベンチャー企業を起ち上げるようなものだ。
あるプロデューサーにかけられた言葉がある。
「上手いやつがプロになるんじゃない。自分の見せ方を理解しているやつがプロになるんだ」
小説家として活動するようになったいまでも、この考え方は僕のよりどころになっている。才能が乏しくても、アプローチ次第では天才を相手にしても勝負に持ち込むことができる。
もっともこの考え方のおかげで、音楽にふんぎりをつけるのも遅れてしまったのだが。
僕はアルバイトしながら執筆を続け、処女作を書き上げた。
バンドマンを主人公にした青春もの。作者自身を投影したような作風になるのは、処女作あるあるだ。
書き上げた作品をマユミにも読ませた。
おそらく、マユミは僕が本当に小説を書き上げるとは思っていなかった。
でも彼女の予想に反して、僕は作品を書き上げた。
その段階で、僕がバンドに戻る気はないと察したのだろう。
「すごいね。おもしろかった」
僕の作品を読み終えた数日後、マユミはアパートを出ていくと言い出した。
(続く)