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家庭人の私が「人生デザイン講座」というものを初めて受けてみて気がついたこと。


全ての人に歴史あり。だから全ての人に未来があるのだ。考えれば当たり前なのに、全く気がつかなかった。


#Nサロン の3つ目のゼミとしての「スタンフォード式人生デザイン講座」。実は私の中では一番警戒していたゼミだった。何を警戒していたのか。それは


「私みたいな単なる母親に人生デザインなんて必要?」


という根本的な疑問から私自身が解放されなかったから。基本、家から出ない。現在は仕事でお金を稼いでいるわけでもない、家事と家庭内の仕事の他に、好きなことを細々と続けているだけ。別に今の生活に大きな不満があるわけでもない。でも社会的、個人的な不安はいつも感じてる。だって私の存在って家の外じゃ何もないと同然じゃね?


この感覚、日本語社会でフルタイムで働いていない母親ならみんな一度は持った感覚なのではないだろうか。どんなに「家庭人のあなたにだって価値がある」と言われても抜けない「自己卑下感」。日本語社会で受け付けられたこの感覚。ここから解放されるのは正直難しい。私自身、この自己卑下感と共存して生きてきた。そして今も。


私の人生にデザインするような部分なんてあるのだろうか。正直かなり身構えていた。


結論として、今回、2回の講座を受けて感じたのは


「グダグダ言ってないで出来ることから行動や」


でした。


「デザイン」って便利な言葉。別にどんな規模でもいいのだ。自分がデザインできる、見えている余白をどうしようか。それからでもいいのだ。私自身正直この新型肺炎で心身ともにかなり不貞腐れている状況。だって、外国で、84日間ほぼ閉じ込められてたんですよ!そりゃ不貞腐れるでしょう!(私の怒涛の84日間はこちらをご覧ください)


そんな不貞腐れマインドに慣れてしまった昨今、自分の中の「こうしなきゃいけない」という概念の縛りはより強固になっていたのだろう。今回の講座のワークでその縛りが行動を自ら阻害してしたことに気がつかされた。同じような行動なのにこの場合は出来て、この場合は出来ない。それは自分で鎖をかけてるから。


何度も何度も組み合わせて行われるワークも正直ちょっと身構えてた。私に人に役立つ情報なんて提供できるのかって。結果的に最善策になったかどうかわからないけどなんか視界が広がった気がしたし、何より私がとても楽しかった。まずはこの前向きな気持ちを大事に覚えておこうと思う。


今回、Nサロンがオンラインになることで海外の私もかなり濃厚に参加することが出来た。この「参加が出来た」ことで自らの鎖のはずし方に気づけた部分がある。新型肺炎で外出自粛時に「出来ることから始めるの学びの楽しさ」に気づくことが出来たことは本当に大きい。


ちょっと色々はじめたい。珍しく、前向きな気分。


かと言って私のようないわゆる家庭人がこういう講座にいきなり参加するのはなかなか敷居が高い。そういう場合はまず本からでもいいので読んでみてほしい。そこで自分の問いや希望を自分で全部否定してしまうところから、1つでもいいからその自分の欲望を認めてあげてほしい。本はこちら。


ちなみに、あとがきはnote で読めます。素晴らしい時代になりました。


もっと自由にデザインしていい、道を聞くように人に声かけしていいんだっていう気づきは私にとってとても重要なポイントになった。この気づきだけでもすごく私にとっては大きな事件になった。

本当に良い体験になりました。ありがとうございました。