見出し画像

第8回横浜トリエンナーレに行ってきた①ー横浜美術館とBank Artー

第8回横浜トリエンナーレが開幕でございます。

まずは横浜美術館に行ってきました。
今回は私、横浜市民であるので市民フリーパスを購入。初めての地元開催の芸術祭。「地元民としてどう楽しむか」、という視点で楽しみたいと思います。



横美の展開は一言で言うと面白く、深く、とても重い。トリエンナーレの日本語訳は「3年ごとの芸術祭」。この問いかけの部分がとても多い。展示を受け止めるには相当の体力が必要な気がしました。


本当に久しぶりの横美。ちなみに私はみなとみらいの前もなんとなく記憶がある。なのでリニューアルがどのようになるのかな?と思いながらの訪問。
まず、改善がほしいなと思ったのは横美のチケットカウンター。相変わらずわかりにくい場所。しかもカウンター少なめ。そしてチケット購入の際強く説明を求めてるおじさんに遭遇。
1つしかないカード対応カウンターを独占していて長蛇の列になってました。カード対応ブースは複数欲しかった。
地元民として心配。。。

しかし、このおじさんに遭遇したことは後の私の気づきにつながるので結果的にはおじさんに感謝。
オープンな広場は誰でも自由に出入り可能。ここにも多くの作品があって「ああ、芸術祭やってるなあ」感を感じることができます。このオープンスペースにも作品が多い、というのは外国や地方の芸術祭ではよく行われるパターンです。祝祭感が出ます。


まあ今回は祝祭というか奇祭感の方が強いかもと思い直す。戦争やパンデミック、暴動を連想させる作品が多い。連想で心が乱れるのは私が東南アジアに9年いたからかもしれない。

さあ入場。最初から「あれ?」。

会場冒頭の挨拶が英語がなかった。???
ちなみに会場を出る際の挨拶には日本語がなかった。

???

この???感。既視感がある。それはタイやベトナムの博物館に行ったとき。ないんですよ、自分の読める言語が。それは予算的な問題で多くの言語を表示できない、というものもあるのだけど猛烈にマイノリティを感じる瞬間でもある。これは

「あなたは自分がマジョリティだと思ってるでしょ、その考えは甘い」


というキュレーターからのピンタ?。ちなみにアーティスティック・ディレクターには、北京を拠点に活動するアーティスト兼キュレーターのリウ・ディンと同じく北京を拠点に活動するキュレーターのキャロル・インホワ・ルーの二人組が就任している。



「自分が安全地帯にいると思うな」という警告から紛争や争いをテーマにした作品のアプローチを受け止めよという解釈の元で作品に向き合うとメッセージが自分事に接近してくるのを実感できる感じ。


北京拠点のリウ・ディンさんとキャロル・インホワ・ルーさんはキュレーターは安全ボケをしてる日本人に「目覚めよ」と伝えたかったのかもしれない。北京も色々大変だろうしね。


非常に考え込む作品が続く。思いが重い。


でもこのようなアプローチって受けて側に哲学的思考がないと受け手から解決策が見えてこないし怖さが勝ってしまう場合が多い気がする。私が行った初日はカップルや家族連れも多かったのですが神妙な顔で鑑賞しおられた。デートに選択するには、明らかに重い。

3年ぶりに開会となった横浜美術館。怖い印象だけが残らないようにこのトリエンナーレではぜひ各種のイベントに期待。期間中に哲学対話とかあったらぜひ参加したい。

そんな神妙な気持ちになる中、丹羽君の歴代の作品はコミカルな要素もあり戸惑う鑑賞者を救ってる気がした。
丹羽君の作品は非常に社会性があるのだけどでもとてもコミカル。そしてそこから社会性を自発的に再考できるのでオススメです。

ちなみに


前回の2020年の横トリと同時開催された「パラトリエンナーレ」。今年は参加型音楽プロジェクト『Earth∞Pieces(アースピースィーズ)』が開催。
第一回は3月16日に実施。私は別件で京都にいたので行けずに残念。こちらもっと注目してほしい。(次回は5月にあるみたい)


そして今日の最後はBankArt。
こちらは横美会場とは変わって楽しげな作品が多し。片岡さんの作品とかずっと見ていられる。デート向きはこちらかも。

現在のBankArtは新高島町直結という立ち寄り易い場所なので芸術祭導入としてはとても良き。地の利を活かして更にアクティブになってほしい。


日本でこのようなテーマで芸術祭を行うことは美術好きとしては大歓迎です。だけど同時に「多くの人に楽しめる芸術祭」にするための別方向からの投げかけは必須だと感じた。

今後どのようなイベントがあるのかも注目したい。
今回はこれでおしまい。
このシリーズ➓までは続けたい。だって市民フリーパス買ったしね。