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一日一食にしてから食をより大事にするようになった話。


回数を減らすと食に対する特別感は爆上がりする。


今、ファスティングが流行ってるそうだ。



ちなみに私は原則一日一食を始めてほぼ1年が経とうとしている。なぜ始めようと思ったか、理由はただ1つ「怖かったから😭」。


マレーシアはほぼ1年前からロックダウン(活動制限)が開始された。制限の程度を変えながらこのロックダウンは今も続いている。学校が休校になった時のみ続けてる日記は、今読んでも精神の波の変化が面白い。


ロックダウン中は国境を超えることなんて、できない。そして登校が極端に制限されたり州越えの移動ができなくなったりしながら1年。正直しんどい。そして通年で行われていたのが「店舗入店の制限」。買い物は時期によっては複数で行けなくなった。外出時にマスクをしていないとすごく怒られる(罰金取られる)様になった。


つまり「出かけるの怖くなった」。しかし、食材は買わなきゃいけない。そこで私は考えた。


「食べる量を減らせばいいじゃない、断食しよう」


そこで私は自分は原則一日一食にした。実は私は一度大病をしてから一度にたくさん食べると寝込む。なので食べる行為がそれほど好きじゃない。


食事を作ることは好き。弁当を作ることは特に好き。なので家族の食事を用意することは問題ない。

私のような海外生活者じゃなくても、「生きてて不安」って人はマジでお弁当を用意することをおすすめしたい。「先に食事は用意されてる」という状況は人を生かす力があるので本気でオススメしたい。


というわけで、私は一日一食になった。基本的に夕食のみ家族と食べる。おやつも食べる。朝、昼は食べない。お茶やプロテインは飲む。こんな感じ。この断食、私にとってはいいことばかりだった。


自分だけ食事の回数を減らすと(当然だけど)買い物に行く回数が減る。ロックダウン中は必要以上に出かけたくない。出かけなければ運動できない。でも食べなければその分カロリーを取得しないで済むのでいい感じに痩せてきた。キツキツだった服が着れる様になった。買い物に行ってないのに着れる服が増えた。


そして何より良かったのは、ロックダウン最中メンタル凹むことも多かったのだけど、この体重減少が私にとって大きな自信になったことだ。出来ないことが多くても気にしない、だって体重減ったもん!今日もこれができなかったけど気にしない。だって体重は減ったもん。これは本当に良かった。そしてもう1点、一日一食にしてから気がついたことがある。


それは「食事の機会を大事にしよう」と思う様になったことだ。食事の回数が1日1回だと、何をどの様に食べようか今まで以上に熟考する。だって1日1回だもの。美味しいもの食べたいじゃん。


私は東南アジアに住んで7年が過ぎた。そしてそこで感じたのは「食が人の体を、心を作る」ということだ。この7年の間、2つの国に住み、数多くの国を訪れ、日本という自分がパスポートを所持する国に何度も行った。その間に家族を見送り、家族や自分の体調変動や病気、そして成長に向き合った。


色々なものを食べた。体調的な問題を抱えてるので私も子供も一度に大量に食べることができない。だから尚更「何を食べるか」を熟考してきた。


子供にも「なんでも食べなさい」「出されたものを食べなさい」とは言わない。少しくらい、好き嫌いがあってもいい。ただ「この食べ物をこれくらい食べる事が自分の体が好んでるのでこれを食べます」と能動的に選択してほしいと話している。


日本食も、アジアの食事も、洋食も、えっって怯んでしまいそうな色のお菓子も、その時に選ぶ理由とどこから来たのかの経緯が見えているか。そこを重視している。必要性を感じない食事は食べない。例えば、私たちは日本にいく際、飛行機の中での機内食を全く口にしない。あの時間帯、あの環境で、あの食事は私たちの体が必要としていない。出来る限り事前にいらないと伝えるようにしている。


食べ物というのは「そこに来た理由と経緯がある」。誰がどのような方法で運んできたか、誰がどのような想いで作ってきたか。そしてその食べ物をどのようなリズムで食するか、その点を常に考える。そしてその食べ物に関わる全て人を喜ばせることができるか。考えることで食というのは多面的に輝く。


特に一度に大量に食べれない、お酒を飲まない私は外食で「その時何を食べるか」は更に重要だ。なるべくなら残したくない。だったら美味しいものを美味しいと思う量だけ食べたいのは当然。

マレーシアでは外食時に取り締まりがある。自分がその取り締まりに遭遇したら本当に嫌なので本当に気に入ってるお店にしか行かない様にしてる。マレーシアで外食そのものに恐怖を感じてる人がどれだけいるのかわからないけど、摘発されるお店だって大変。お店側の管理や対策も大変なんだろうと色々思いを巡らせてしまう。


最近、私は調理家電が大好きなのだけど調理家電も「笑顔で食すための有能なサポーター」である。代わりに作ってくれる。最高の環境に温めてくれる。本当にありがたい。彼らに助けてもらうことで私は食を自分の物差しで存分に楽しむことができる。


別に全て自作に拘る必要はない。家族が作らなきゃいけないこともない。多少の好き嫌いがあっても全然構わない。大事なことは「その食べ物が自分の前にある意義を感じ、感謝して食べれるか」である。


今、食に関わるお仕事をしてる人はこのご時世本当に大変なことが多いと思う。食べさせて頂く側として食事の回数を減らすことってどうなのかと最初は思ったけど1回の食事の有り難み、重みを十分に感じより食事に対して豊かな感情を持つようになったことで許して頂きたい。


ちなみに一日一食を1年続けていくと、ある程度まで行くと体重は減少しなくなる。そりゃそうだ。体は生き物だ。取り入れるべきエネルギーと、使うエネルギーのリズムが出来てきたらそりゃそのバランスで動くようになるからそりゃ減らない。

最近、ちょっと体が重くなってきたので今度は調理家電ダイエットを考えていきたいと思っている。食事に感謝しながらどんなふうに進めるか、考えていきたい。