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元々そこにハードルはあったのだろうか〜「日本語環境でテレワークで変わったこと、変わってないこと」。


テレワークで変わったことがどうだこうだと言うけれど「テレワークになったから」で済ましてませんか?


私は東南アジアに住んで7年目になりました。つまり、母語以外の言葉をメインに生活するという生活をして7年目が経ったわけです。


悲しいことに私自身は話すことに疲労を感じるタイプです。正直しんどい。そんな私でも声をかけて下さるとてもありがたい方がおられます。ちなみに東南アジアでは国をまたいでプロジェクトが動くことが多いです。なので元々テレワークスタイルが浸透しています。私にとって正直有り難かったです。


母語ではない文字のコミュニケーションは明確な情報共有が必須です。それが無いと始まりません。よって私は(英語力は本当にまだまだですが)常に明確なコミュニケーションを心がけてきました。


そこで新型肺炎。世界中でテレワークが始まりました。最初は時代が俺に追いついた!とか思っていましたが、新型肺炎がここまで長引くと結構辛い。そして改めて思うんです。


「テレワークのハードルとか言ってるけど、テレワーク以前にちゃんとコミュニケーション取れてました?うまくいかないのテレワークのせいにしてませんか???」


プロジェクトがうまく進まないことを「テレワークだからメンバーが言い出すのを待っていた」とか「テレワークだからコミュニケーションが足りなかった」等でテレワークのせいにしてる傾向が見受けられる時、とても危機感を感じます。そしてその危機感の発信を環境のせいにして自らアクションを起こさないチームは確実に「崩壊」を引き起こすからです。


母語が同じ日本語で、「察してほしい感覚が強い日本語思考」では相手の発信を待つことが比較的多くなります。発信においての返信も完璧でないといけないと感じることが多く躊躇することも多いでしょう。でもテレワークの場合はそれでは混乱を生じることがあり、その混乱は崩壊に向かう可能性が高くなります。そしてその崩壊は心理的にとても嫌な後味を残します。


その崩壊はテレワークのだったからではありません。チーム内メンバーの考え方、チームの運営の進め方の問題です。問題の根元から目を逸らし続けるようでは根本的な問題は解決しない。


そもそもそこにハードルはあったのか。自分の都合の良いハードルを置いていないか。まずはそこから考えるべきと自戒を込めながら意識して活動していきたいと思います。



#日経COMEMO #テレワークのハードル