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居辛さから逃れ続けた高校時代

こんにちは、セイマです!
早速ですが、「自分史」の一環として今回は高校生の時のお話をしようと思います!
この時の自分は、自分の意志があるように見えて他人に合わせることばかりを考えていました。どんなことを言われても耐え、自分の居場所を作り、逃げるのに精一杯でした。
そんな時代を振り返っていきたいと思います!

テニス部

高校に入学した僕ですが、中学時代全然勉強してこなかったせいで高校受験に苦労した思いから「部活は入らないで勉強に集中しよう」と考えていました。
しかし、友達から「テニス部は緩いから勉強と両立できるよ」とテニス部に誘われたことをきっかけに入部しました。
最初は順調に誘ってくれた友達たちと上手く付き合っていくことができましたが、徐々にテニス部に誘ってくれた友達Aとその子と仲が良いBと関わり辛さを覚えていきました。

最初は二人と仲が良くずっと一緒にいたのですが、自分は手に汗がかきやすかったり、少し頭頂部が薄いことを彼らからイジられるようになりました。
もちろんその時はかなり傷ついたのですが、場の雰囲気を悪くさせないために笑って誤魔化していました。
また、2人は人を少し小馬鹿にするようなことを言って笑い合っていたので、これもまた居辛さを感じる要因でした。

このようなことが続いて、かなり精神的にしんどかったです。そこで仲が良い友達でしたが、もう関わることは避けようと決めました。
それ以来テニス部で一緒になってもほとんど話さないようになり、距離を置くようになりました。
そこからは他のテニス部の友達と仲良くするようにして、練習の時もその子達と一緒にやるようにしました。

高校1年生

話は変わって1年生のクラスの話になります。
1年生の時のクラスは上記のテニス部のAと同じでした。
Aはクラスの中心で笑いに長けた人でした。Aを中心としたクラスの友達の輪に私も入っていました。
ですが、周りの友達はイケメンや面白い人だったので、周りと自分の差を感じ、周囲との距離を感じていました。この時の気持ちは中学の時の「置いてけぼり感」と似ているかもしれませんね。

そして、そんな時に追い討ちをかけるかのように友達から「セイマってカッコよくないよね」など容姿に関する悪口。言われました。
心を深くえぐり取られ、心にポッカリと穴が開きました。
そこからは友達といても自分は笑顔で場の雰囲気を良くするものの、笑顔でいることに体力的にも精神的にもしんどさを感じていました。笑い終わった後に、顔の頬に倦怠感を感じたことが忘れられません。
また、自分から喋らないようにもなり、以前よりも口数が減ったと思います。この頃の自分はかなり根暗になっていたと思います。

その後

読んでもらった通り1年生の頃はかなり精神的にしんどかったですが、高校2年、3年の頃の友達はかなり恵まれて以前より元気と自我を取り戻すことができました。
以前としてA.Bと一年のクラスメイトは苦手で距離を置いてましたが、腹を割って話せる人と一緒にいることが何よりも自分にとっては安心でとても楽しい時間でした。

改めて振り返ると、自分は「居心地が良いか」が行動指針の一つになっていると気付きました。
『自分の心に無理はせず、自分が居心地良く安心して居られる輪に所属する』
僕はそんな行動指針を気付かぬ内に醸成していて、今もそれを持って生きていると思います。
正直この時の精神状態はかなり厳しいものでしたが、こうした経験があるからこそ、言葉一つで相手を傷つけてしまうということを学ぶことができました。
相手が傷つかない言葉とは何だろうか?と考え、言葉の選び方には気を付ける。そんなことを学ぶことができた貴重な機会だったと思います。
今、それを忘れいたのでもう一度学び直します(笑)

最後に

いかがでしたでしょうか?
今の学生も社会人の方も同じ環境、気持ちの人はいるのではないでしょうか?
あまり自分を追い詰めすぎずに、自分の気持ちに素直になって気持ちが回復する行動をして欲しいなと思います。
「逃げるは恥だが役に立つ」
このことわざは少し意味合いが違うかもしれませんが、どこか当てはまる部分があると思います。自分から周りから逃げても、立派に生きられるように自分は最高だと言えるように逃げていきたいですね😁

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

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