自分を徹底的に憐れんでみたらどうなるか

皆さんは、自分を憐れむなとか、可哀想だと思うなって、常日頃自分を戒めていますか?

自己憐憫っていうのは良い意味の言葉ではないですよね。確かに「私って可哀想なんです」って周りに言うのは格好悪いのかな、とは思います。

しかしですね。昨日私、すっごくお腹が痛かったんです。胃腸の調子がよろしくなかった。下世話な話ですみません。結構お腹が弱いので、度々そういうことが起こります。

コーヒーを飲んでしばらくしてから痛くなってきてしまったのですが、腹痛って波がありますよね?あんなに痛い痛いと苦しんでいたのに、その波が去った途端(二回くらい波が過ぎた後)喉元過ぎれば…とはよく言ったもので、今度は空腹を感じ、いかみりんせんべいというのをバリバリと食べてしまったんです。もう大丈夫かなーとか呑気に考えて。自分でも書いていてバカみたいなんですけど。

そしたらてきめんに第三波がやって来ました…。それはもう、苦しかった。痛かった。悪寒までした。

腹痛って死ぬほど苦しいですよね?そんなものに、今年に入ってからすでに何度か見舞われているため、もう何だか私、自分のことがすっごく可哀想になっちゃったんです(笑)きちんとした食生活を送らなかった自分が悪いっていうのは棚に上げて。

で、心底こう思いました。「私、すっごく可哀想」。

「こんな、痛んだり苦しんだりするような体っていうものを持って生まれて可哀想」「ほんとごめん」「辛かったね」「もういいよ」というような思いが駆け巡りました。走馬灯のように。三回くらいリピートで。

それで、悪寒もしたため思わず自分をギュッと抱きしめる形になったんですが、それが案外良かった(笑)なんともない今、試しにやってみましたら不気味でしたが、弱ってる時にやるといいみたいです。毛布にくるまるのもいいかも。

他の誰かに「大丈夫?」「大変だね」「辛かったね」とか声をかけてもらうより、パア〜っと100倍くらいの癒やされ感がありました、その時は。書いている今となっては過ぎ去ってしまったことのため、あの時の臨場感が失われてしまいうまく伝えられているかは分からないのですが。

自分を憐れむって、中途半端じゃなく徹底的にやったら本物のヒーリングになるんじゃないのか?と感じました。

自分で自分の大変さを心底理解してあげられていたら、他の人にわざわざ傷をみせて、なぐさめてもらおうとしたりする必要もないのではないか?

でもこれ、昨日突然フッとそう思っただけですので、間違っていたらごめんなさい。しばらく自分で実験してみます。

ポイントは、最終的には「辛かったね」など過去形で言う事と「もういいんだよ」という結論まで行き着くこと。そんなこと言ったからって二度と腹痛を起こさなくなるという保証はないのですが、個人的にはこの「もういいんだよ」が大事、という気がしました。もうそんなに自分を苦しめなくていいんだよっていう意味で。

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