すぐに傷つく

コンタクトレンズがなくなったので、眼科に買いに行きました。一度検診すると、しばらくは診察券を提示するだけですぐに購入できるというシステムなので楽です。そこの受付にいくと、じゃあそこのコンタクト室に行って下さい、と言われるだけなので、わざわざ受付に寄ることもないのかなあと思い、今日は直接そのコンタクト室に行ってみたのです。

おそるおそる戸を開け、「あのー、コンタクトを購入したいのですが」と伝えたところ、二人ほどスタッフさんがおり、怪訝そうな顔でこっちを見ています。「へ?あ、ああ、一度受付に行ってから来てくださいね。まあ、今日はいいです。」と、ちょっと迷惑そうに言われてしまいました。

なんだそれだけのこと、なのですが、ここで私は自分がすでにちょっと傷ついていることを発見しました(笑)そしてこういう状況の時、いつもは「あーーーー、大丈夫大丈夫、何でもない何でもない、何も起こっちゃいない。はい、次いこー!」と全力でそれを否定し、なかったことにしている自分にもさらに気づきました。

見ず知らずの眼科の人に、ちょっと迷惑そうな顔をされただけで、あっという間に人って傷つくものなのですね。ほんと、「あっ」と言う間もないほどです。その方、帰りは笑顔で送り出してくれましたが、そんなことをしてくれたってもう遅い(笑)他の人はどうなんだろう。やっぱり傷ついたりするのかな。それとも本当になんとも思わないのかな。

なぜ今日はそこに気づいたのかというと、とある本を読みまして、自分の本心を感じて生きる、というトレーニングをしている真っ最中だったからであります。

最近、自分が何をしたいのか分からない、という人が増えているようなのですが、それは自分の「本心=本当に感じていること」に蓋をしているからなのだそうです。

私は自分のやりたいことなんか分かっているし、まさかそんなことないよー、と高を括っていたのですが、よくよく自分の心に聞いてみますと、自信がありません。あれやったりこれやったりと定まらず、行ったり来たりしているのは、自分が本当に何をしたいのか、ちゃんと分かっていないからなのでは。

ということに思い当たりまして、そのトレーニングを絶賛実施中です。すると、出てくる出てくる。真っ黒な感情、誰にも見せられないような考え・・

でも、そのダークな感情って、たとえ誰かに対して抱いたものであっても、本当はその人を対象にしているワケではなかったりします。自分の中の、何か満たされないものに対する不満がそのような形になっているだけ、とか。もちろん、絶対にアイツのせいだ!と思われることもありますが。

こうしていると何がいいのかというと、自分の本心に蓋をしないことによって、やりたい事を探さなくても自然と湧き上がってくる、肌でわかるようになる、ということらしいです。もしそうだったら楽しみだな。

大人になってからというもの、笑顔を基本に生きている人が多いかと思いますが、そうしていると、だんだん笑顔が顔に張り付いたようになってしまって、悲しい話とか聞いてもそれが取れなくなっている、なんていうことはないでしょうか?えーと、私は何を感じているのだろう、と一瞬考え込んでしまう。口角を上げることも大事ですが、それだけを心がけてしまうと、悲しみに対してシャッターをおろす事になるような気がして、私は最近、あえて本来の仏頂面で生きるようにしています。への字口。美容には良くないですが、気持ちはちょっと地に足がついた感じ。

というわけで、しばらくは、こうして自分の本当の気持ちに寄り添って生きてみたいと思っています。今日は子育てについて書いていたのですが、あまりに本心に寄り添いすぎてただならぬ雰囲気になってしまったため、やんわりこの程度の話に留めておこうと思った次第です。

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