見出し画像

神仏の前で何を思ったらいいのか

奈良二日目の朝は、東大寺で大仏さまを拝んできました。大抵は修学旅行で行ったりするのでしょうが、私が通った高校では修学旅行がありませんでした。団体行動が苦手なので、修学旅行がないことにホッと胸を撫で下ろした記憶があります。

最近は、神社とかお寺に行っても何を思っていいのかが分からなくなりました。昔は「大学に合格しますようにっ‼」とかガッツリお願いしまくっていましたが。

ここ十数年くらいのことだと思うのですが、こういう場において「願い事をしてはいけない」とか「日頃の感謝を伝えるべき」とか、色々と作法が言われるようになりましたよね。そういうのを聞いているうちに、一体どうすればいいのかが分からなくなってしまったのです。皆、色んなこと言ってるな〜っていう印象。

これ、「同情は本当の優しさではない」っていうのと、私の中ではどこか似ています。私、子供の頃はかなり同情心が厚かったんです。「かわいそう」っていうのにすっごく弱かった。でも、同情って優しくないんだ…とぐるぐる考えているうちに、今では結構ドライな人間になってしまいました。ドライであっても冷血にはなりたくないものですが。

大仏様の前で、父は自分の妹の病気が治るよう、熱心に祈っているようでしたが、私はちょっと、どうすればいいか分からなかったです。叔母本人にとって、一体何が一番良い事なのかが分からないなあと思って。そうこうしているうちに大仏様の前に出てしまい、とうとう何を念じていいか有耶無耶なまま、「無」な感じでただ手を合わせてきました。大仏さまの顔は優しかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?