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好きとか、嫌いとか

私はこういう人が好きだ。こういう人は嫌い。あるいは苦手。

というような文章を目にすると、ちょっとギクリとする。この人、私のような者は嫌いだろうな、と勝手に直感する。

なぜならば、私は本当にダメでイヤな人間だから。(最近ではそんな自分を、それ程否定はしていないハズだけど。)

別にその人に好いてもらう必要は全然ないのだが、自動的に若干傷つく。会ったこともないのに。しかも、その人は多分私の事を考えて書いたわけでもないのに。

そして、そんなつもりはないのに、このnoteでの立ち居振る舞い(?)においても、無意識にその人に嫌われないような行動をとってしまったりしていて驚く。

気がついたら書きたいことが素直に書けなくなっていたりする。

人間て、つくづく他人の目を気にする生き物なのだなあ、と呆れる。

かく言う私も、昔は白黒ハッキリつけたい、0か100かみたいなところがあった。今は、よく分からない。そんなに誰かに対して不愉快だとかいうような、強い気持ちは湧いてこない。歩きタバコをしている人には個人的にイライラするが。

人間が丸くなったものと思いたいが、ただ単に最近あまり人と触れ合っていないせいかも知れない。強く「嫌いだ」と思う人がいない。

そんな風になってきたせいかは分からないけれど、「嫌い」はもちろん、「こういう人は苦手」っていう表明も、結構強い表現だなと感じるようになってきた。使った本人が思っている以上のダメージが潜んでいるのは確かだ。

私も前はよく使っていたと思う。このnoteを見返せば、ポロポロ出てくるかも知れない。見返さないけど(笑)

だけどこの事に気づいた今は、曖昧だけど、誰のことも出来るだけ否定しないような、ボワンとした存在になりたいなあと思っている。

などと書けば、今度はそのような意見を表明している人を、批判しているということになるんだろうか。

じゃあ、この「批判」もここで終わり。

※写真は、スウェーデンのカモメ的な鳥。お面みたいな顔が可愛くて気に入っている写真。記事とは関係ないけど、キャッチ画像がないのも寂しいので。

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