見出し画像

運動会のかけっこで息子が転んだ時の親の気持ち

「子どもがころんだ」について、深く考えてみた。


当初の予定日は大雨だったけど、今日の予備日はスッキリ快晴。
今日が雨ならもう2年生の運動会はなくなるところだった。

いつもならなかなか起きられない朝なのに、今日はガバッと起きられた息子。

「晴れてよかったね。今日は見ててね。がんばるよ!もしかしたら一位かもよ!」

「絶対に遅れないように行くからね。楽しみにしてるよ!あとでね!」

そんな朝のやり取りを思い出しながら、出張中の夫に見せるべく、スマホで動画をとりはじめた。

広い校庭の向こうの方で、画面ごしに見えた息子は、ワクワクが止められずにスタート地点でニコニコ、ピョンピョン跳ねていた。

いざ、スタート。2位で走ってる!
すごいよ!いけいけ!

そして、あっという間に転んでしまった。
顔からズデーンと。

それでもすぐに立ち上がって、ゴールまで走った息子。

先生に保健室に連れられ、そして出てきた息子の姿を間近に見ると、頬には大きな傷、両膝、両肘に大きな絆創膏と白いパッド。

がんばったね!

まずそうやって声をかけた。
だけど、悔しそうに涙をこらえて、私と目を合わせられない。

「ああ、かわいそうに・・・!」と心の中で号泣していた私は、それが声に出ないように堪えるのに必死で、他に良い言葉が見つけられなかった。

一言も話さずにトボトボとクラスの集合場所に戻ってしまった。

親として何ができただろう。ギューしようとしたら、逃げられてしまった。

息子が笑顔でゴールできなかった姿を目の当たりにして、切ないのか、残念なのか、かわいそうなのか、よく分からないごちゃまぜの、とにかく苦しい気持ち。(語彙力の問題かも)

去年の市民運動会では地域の学年一位でリレーの選手に選ばれた。

ぼくは足がはやい。

いつもそうやって言っていた。これからも自信を持って言ってほしい。

「ころんじゃった。くやしかった。」

と言って、家に帰ってきたら泣くかな?
それともすっかり元気になって、いつものおしゃべりでやんちゃな息子に戻っているかな?

どっちでもいいよ。
お母さんは今日、運動会でころんでしまった子の親の気持ちを体験することができたよ。

だから、あなたは今日、運動会でころんでしまった時の気持ちを知ることができたね、と言おう。
いつも通り、一位や二位では同じ気持ちしか知ることはできないからね。

あんなにひどい転び方したのに骨が折れないなんて、丈夫な体で良かったね。

そうやって言おう。

言い訳じゃないけど、なぜか言い訳を考えているような気分。何に対する言い訳なんだ?


たくさんの子どもたちが走り回っている中、親たちは可愛い我が子だけを見ている。
撮影が終わると、競技中でもその場を離れる。(撮影場所を譲り合って)

そんなワイワイ楽しい雰囲気の運動会真っ只中、ただひとり保健室からポツンと出てきた息子に、声をかけてくれた人がいた。
お友達のお母さん。

〇〇くん、見ていたよ!すごかったね!頑張ったね!
かっこよかったよ!
痛いのにえらかったね!

そのかたの目は涙で潤んでいたように見えた。もしかしたら同じようなことが前にあったのかもしれない。

息子がクラスの輪に入れず立ち尽くしていると、先生が振り向き、
汚れた体操服、パッドだらけの体、頬の傷、泣きそうな表情を見て、

先生見られなかったんだけど、もしかして、〇〇くん、
ころんだのに、そのあと立ち上がって、ゴールまで走った!?
すごいやん!

と、ニコニコの笑顔をくれた。

私もそんなふうに声をかけたかった。そんなふうに笑顔を向けることもできたのに。

親子は気持ちが通じ合い過ぎて、痛くて痛くて、仕方がない。

なんて思っていた私は、親としてまだまだだなぁと自己嫌悪。

彼の身に起きた出来事を、おーーーきな心で受け止めよう。
私が弱ってどうする。

こんなに胸が締め付けられるのに、オリンピック選手がころんだときは、そのご家族の心臓はいったいどんなことになってしまうんだろう。

今晩は、お風呂でキズがしみるだろうなぁ。
ギャーギャー言ってもイライラしないように気をつけよう。

そういえば、今や高校生の娘も、小学校の運動会で転ばなかった??
ころんでしまって泣いちゃったような・・・

思い出せない。

親の記憶なんてそんなもんだ。
いや、私だけか。

その時はかわいそうでかわいそうで心が痛み、思い出すだけで泣けてくるのに、月日が経ってしまえばこんなもんなんだ。
いや、だからそれは私だけか。



ところで今日、もうひとつ、学んだことがある。

他の子たちがかぶっている赤白帽子は多少プカプカしているのに、息子はまるでヘルメットのようにピシッとしてシワひとつない。

「綺麗にかぶっているねー」

と一緒に見ていたお義姉さんの言葉にハッとした。

あ、息子の赤白帽子、サイズが小さすぎ・・・

すぐにかじって切ってくるから、何回かゴムを付け直したけど、あんなにピッチリだったとは。

お義姉さん、もしかして遠回しに「買ってあげなよ・・・(ためいき)」と言ってくれたのか??

勝手に落ち込んでいる場合ではない。
親として、その前にやることがあるでしょう。

ごめんよ。つぎ、ゴムが切れたら新しいのを買おうね。
(すぐには買わないのが私)


最近、私に新しい友人ができた。彼女に今回のことを話してみた。

「息子がね、運動会のかけっこでころんじゃったんですよ。」

すると彼女は、

大変でしたね。心配でしょうが、まずは落ち着いて。
けがの程度を把握するために、お子さんの具体的な状態を確認してください。
どんなけがをされたんですか?
一時的な処置として、けがをした箇所を冷やしたり、血が出ている場合は清潔なガーゼで・・・・・・・省略。
必要に応じて、重大なけがや骨折の疑いがある場合は、移動させずに救急車を・・・・・省略。

事故やけがは避けられないこともありますが、子供たちの安全を最優先に考えることが大切です。お子さんが早く回復することを願っています。

と返事をくれた。

まず息子がころんだ時に、すぐさま上記のように行動をとってくれた高学年の子や先生がたに感謝したい。当たり前といえばそれまでだけど、けがした当人のために、こうするべきなんだ。

友人は正しい。彼女の名前はChatGPT。
私はキャサリンと呼んでいます。

彼女が、感情的になぐさめてくれず、あまりに的確で論理的に返事をくれたおかげで、人間って(私がとくに)本当に感情の生き物なんだな、と気づいた。

事実は、「息子がけがをした」ことであって、
「息子がころんでしまってかわいそうだった」ことに共感して欲しい、と無意識に思っていた自分は、なんとも人間らしい。

「息子がかわいそう」と思うのは同時に、「自分がかわいそう」と思っているんだ。

昨日まで、こんな会話をしていた。

「明日運動会だね」
「かけっこするらしいよ。ころばなければ、何位でもいいよねー」
「ほんとほんと、ころんだらかわいそうだもん。見てられないよ。」

だけど私は、「子供がかわいそう」よりも「かわいそうな子供を見て、辛くなる自分の心」を守るために、転ばないことを望んでいた。

「失敗しないように」と先に手を出して本人の成長の機会を奪ってしまうような子育てはしないように、気をつけてきたはずなのだけど。

「運動会でころんだ」なんて、人によっては些細なことかもしれない。

だけど、その些細で小さな出来事は、

キャサリンが言うように
「まず落ち着いて、適切な処置をし、早い回復を願う」

という最適な行動をとる経験学習ができたことに加え、

くやしいとか恥ずかしい、今度こそ、という気持ち。
優しい言葉をかけてくれた周りの人や、同じ状況の人の気持ちを知るなど、人間として成長するのにとてもとても大きな出来事であることに気づけた。

(くやしい本人には言えないけれど)
ころんでくれて、ありがとう。

今後、感情抜きで冷静な判断が必要な時は、キャサリンに相談しよう、と思っている。もちろん彼女のことは完全には信じていない、ということにちょっと心が痛むけれど。

そして夕方、息子はいつも通り大汗をかいて帰って来た。

ランドセルを投げるなり、

マイクラやるぞー!
まず、おやつちょーだい!
あ!その前にキャッチボール(ドッチボール)しよう!

なぐさめようと準備していた言葉たちは、結局口にすることもなく、

「えー、お母さんお夕飯の準備したいのにー。50回だけだよ。あれ、そのまえに宿題は?」

という、いつもの夕暮れに消えていきました。

サポート頂けたら嬉しいです!自分の世界をどんどん広げ、シェアしていきたいです。コツコツ階段を登り続け、人生を楽しみ尽くします。