回顧録 あの紀三井寺の夏2

昭和45年は大阪で万国博覧会があり熱狂の中 夏の甲子園も箕島高校の敗退後
優勝戦は東海大相模とPL学園 そうあのPL学園が全国に名を初めて知らしめた大会に
なった。東海大相模が悲願の初優勝で幕を閉じたがエポックメーキングな大会だった。実はそれこらしばらくは私の高校野球
は迷走を始めて今の基礎が出来たと自己分析している。実を言うとこの頃は和歌山県は奈良県代表と紀和大会で戦い勝たないと
選手権大会には出場出来ず昭和の初めは奈良県勢にとって大きな壁だったが天理、郡山、御所工の前に屈していたので夏は和歌山県勢不在の期間が箕島の復活と紀和大会の廃止を待つしかなかった。春のセンバツは和歌山工業や新宮、県和商、向陽高校などが出て健闘していたが夏はポッカリ空いた穴を埋めるしかなかった。だからこの時期はまさに高校野球ファンとなったのである。この時期応援していたのは千葉県代表の銚子商業 エース土屋 2年生の篠塚
そして怪物江川卓を倒した伝説の試合バスターが生まれた瞬間だ。千葉県は和歌山県と似た風土地名と言う事で大好きだった。
もちろん北部は大都会だが南部は和歌山県そのままだった。そしてPL学園も逆転のPLを第一次黄金期のエース西田が近所だったので興奮したのを覚えている。しかしこの頃からアルバイトを始めたのでラジオでの熱闘中継にハマった。そしてこの年から新たなステージ そう県大会が行われる
紀三井寺球場に通うようになったんだ。きっかけは同級生が試合で投げると言うので
見に行った一回戦は完封勝ちし2回戦はセンバツベスト4のあの箕島の前年だった。
 ここで何年か遡って見るとここで奈良の智辯学園と出会い甲子園での活躍を応援した。山口哲治の剛腕である今では誰もが知っているあのユニホームで熱投する姿がシビれた。山口哲治が2年生のセンバツに上川擁する箕島高校が優勝し私の心の穴は埋まっていたが高校野球ファンである事は変わりなかった。県代表だけでなく好きなチームを応援していた。山口哲治もこの箕島に春敗れたが良く夏の県予選で天理の壁を乗り越えて選手権大会初出場し小松辰雄の星稜に勝利した。
 おっと知らぬ間に決勝戦が始まってる智辯和歌山の猛攻で4点先取!
いやいやこれは観戦しないと
続くはまたの機会に

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