回顧録 あの紀三井寺の夏4

第103回全国高等学校野球選手権大会は
日程やコロナ禍のイレギュラーもあったが
智辯和歌山の盤石な試合運びでの栄冠で閉幕した。観る側は寂しさしかないが加盟校は夏が終わったそれぞれの翌日からまた新しい一年をスタートし全国制覇した智辯和歌山を打倒すべき努力が始まるのである。
それまで全国の目標であった大阪桐蔭や東海大相模、そして名将が勇退した横浜も新たなスタートを切る。それは地方大会でも同様で全国制覇した智辯和歌山がいる和歌山県大会は厳しい戦いが始まる。今年の県大会は大本命は智辯和歌山でなく市和歌山と言う公立校で前身が市和歌山商業、和歌山市には県和歌山商業がある為、市和商と呼ばれていた強豪校 今年度ドラフト会議の目玉である小園松川バッテリーを擁しており智辯和歌山は3度屈し夏倒しての全国制覇であった。この市和歌山は和歌山県唯一の市立高校である特色を活かして県外から有能な選手が在籍しプロ野球へと進んだ。ヤクルトで首位打者になった川端慎吾も大阪からの越境入学でグラウンドには昔からナイター設備があり当時は珍しかった。その設備は元阪神タイガースで首位打者にもなった藤田平がセンバツてカミソリシュートの大洋で名を馳せた平松の岡山東に負けて準優勝した際の寄付金で設営したものだ。そしてもう一人プロ野球で首位打者になった選手がいる。広島カープの名セカンド正田耕三である。この正田が在籍した2、3年が今でも全国制覇に最も近い最強世代だと思う。その当時は中学のシニアクラブもそれほど盛んでない時代に正田は
日本一になっておりその城東中学から7人も入学したのがその当時の市和歌山商業なのだが残念ながらその期間一度も甲子園出場がないし県大会も一度しか決勝に進んでいないのである。
 これは地元の関係者しか最早覚えていないだろうがあの箕島高校黄金期と丸かぶり
なのだ。箕島のアンダースローのエース石井は4期連続甲子園に出場し15勝 自身が投げた試合は負け無かった。のちにPL学園桑田に抜かれるまで甲子園記録を誇っていた黄金期だ。 市和歌山商は組み合わせが悪く早い段階で箕島と対戦し惜敗。これはドカベンの明訓と当たる不知火や雲竜と
同じ図式だった。これは長い歴史で各地方大会であった高校野球の奥深さだ。
 だから甲子園だけを高校野球と言えない
のである。
 そろそろ智辯和歌山に話を戻そう。
智辯和歌山が97年全国制覇する2年前から
話を始めようと思う。 ※5に続く

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