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汚染水処分「市民を参加させる」意思―【尾松亮】廃炉の流儀 連載11

 事故後大量に生じた汚染水対策の課題に直面したスリーマイル島原発事故(1979年)では、幅広い住民参加のもと10年以上かけて汚染水処分方法を議論した。ここで重要な役割を果たしたのがスリーマイル島原発(TMI)「汚染除去」市民助言パネルである。

 同パネルは1981年に設立された米国原子力規制員会(NRC)に対する助言組織である。同パネルは事故後の「汚染除去」に関して、周辺住民の意見を取り入れ、事業者をチェックする役割を担った。同パネルの最重要議題の一つが大量の汚染水(処分時8706㌧)への対策であった。事業者による「河川への直接放出」方針は市民からの反対で撤回され、その後も同パネルで代替案の議論が続けられた。

 同パネルの活動で注目すべきは、より広く地域住民が議論に参加できるよう様々な工夫がなされたことである。当初常任メンバーには周辺自治体の代表者、科学者、州政府担当者ら12名が選出された。ここには周辺自治体の首長や州政府の防災・環境・保健行政担当者が含まれる。これらメンバーの意見を聞くことで、NRCは同パネルの目的である「住民意見の取り入れ」「州政府の参加」を形式上は保証したとも言える。しかしパネル会合には、常任委員以外にも広く一般市民の参加が認められ、毎回一般参加者からのコメントや質問のための時間も設けられた。市民が書面で意見を提出することも認められた。

 パネル会合には、周辺地域で活動する市民団体の代表者達が継続的に出席し、プレゼンテーションや意見表明をする機会も与えられている。事故前からスリーマイル島原発に反対してきた市民団体や環境団体などが継続的にパネル会合に参加し、「汚染除去」に対する市民の懸念を伝えた。

 会議進行の面でも一般参加者の発言機会を尊重する工夫がなされた。例えば夜遅くまで続く会合を途中退席する参加者に配慮し、一つの議題についての報告が終わるたびに、一般参加者のコメントを募るよう議事進行が変更された。さらに同パネル会合は報道機関に公開されており、地域の新聞社やテレビ局が継続的に議論の内容を伝えた。「(同パネルのおかげで)市民が通常知ることのできない汚染除去についての情報を得て、議論に参加できるようになった」と一般参加者の一人は振り返る。

 地域住民の要請で議題が追加されたこともある。1986年に同パネル定款が修正され、事故直後から住民が求めてきた「原発事故に関連した健康影響問題」が議題に加わった。

 最終的に1990年、NRCは放射性トリチウムの残る汚染水の蒸気化・大気中放出を決定する。この決定自体はパネルメンバーを含む地域住民から歓迎されてはいない。しかしこの結論に至るまでに、市民参加の議論で「直接放出」方針が撤回された。NRCは結論を急がず、助言パネルでは約10年かけて市民が様々な選択肢を提案、議論した。

 日本では政府が「海洋放出」方針を既定路線とし、特定のステークホルダーと「風評被害対策」だけを話し合おうとしている。民主主義国家として「市民を意思決定に参加させる」意思がそもそもあるのか。TMI助言パネルとの比較で問われる。

おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。


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