男の言い分イラストのコピー2

【熟年離婚】男の言い分〈その1〉

 近年「熟年離婚」が増えつつあるという。死が二人を分かつまで添い遂げるなどという夫婦の形は今、大きく変わりつつあるようだ。不用品を捨てた簡素なくらしを提唱するブームは、さらにパワーアップの感があるが、中高年の女性に人気の雑誌「クロワッサン」は昨年末、「すっきり暮らす」特集の事前アンケートで、読者の家の不用品を尋ねた結果、その第1位は、モノではなく「夫」だった。同誌では、このアンケートに真摯に応えて、今年1月号で、夫と「ともに歩む作法」と夫を「捨てる作法」の特集を組み、弁護士やカウンセラー、離婚経験者などのアドバイスを載せている。

 熟年離婚のほとんどは女性から切り出されているというが、その原因は夫の浮気、ギャンブル、DVやパワハラなど、夫側に分の悪いことが多いようだ。そんな女性の離婚に世間は同情的だが、夫には夫の言い分があるかもしれない。一方で、今年4月発行の「週刊朝日」は、「不用品は妻」と夫から切り出す熟年離婚も増えているとレポートしている。さて、夫にはどんな言い分があるか―熟年離婚の男性たちを訪ねて、その「言い分」を聞いてみることにした。         (橋本 比呂)


〝芥川賞〟の悪夢

S氏・66歳。東京の出版社を経てフリーライター。60歳で57歳の妻と離婚。Y市在住。


 僕の離婚は、もしかしたら結婚した時から見えていたかもしれない。

 僕が入社3年目の春に、新入社員でやってきたのが彼女でした。たまたま大学も同じで、二人とも郷里が東北だったので、仕事の先輩・後輩としてすぐ意気投合しました。

 彼女は、同僚の眼には〝変人〟に映っていたようです。他の女子社員は、めいっぱいおしゃれしていましたが、彼女はいつもほとんどノーメイクで、紺色とかグレーのスーツに白いブラウス。他の女子社員のように湯沸かし室でのおしゃべりにも加わらず、黙々と仕事をしていた。そんな彼女の姿が、僕にはとても新鮮に映ったんですね。

 話をすると、頭もいい。「ものを書くのが好き」と言って、本の話になると読書家を自認する僕も感心するほど、よく読んでいる。

 彼女と付き合い出して、初めて彼女の部屋を訪ねてびっくり。アパートの小さな部屋は、本でいっぱい。台所は、やかんと小さな鍋が一つあるだけで、とても若い女性の住まいとは思えない。―それも、僕には新鮮だった。〝恋は盲目〟ってやつでしたね。―僕が30歳、彼女が26歳で結婚しました。

 結婚と同時に彼女は退職して専業主婦になった。〝悲劇〟はそこからですよ。僕が仕事でへとへとになって家に帰ると、玄関は真っ暗。飯もできていない。彼女の部屋をのぞいてみると、机に覆いかぶさるようにして何か書いている。「飯は?」と言うと「あ、何かお店から取ろうか」と、こんなことが度々。「毎日、家に居るんだから、主婦のやることはちゃんとしろ」、「私だって一生懸命なんだから」、「何が一生懸命なんだ!?」という喧嘩が度々でしたね。

 喧嘩の後、ちょっとは〝反省〟する彼女も1週間もすればまた同じ。新婚だというのに、長い髪は輪ゴムで止めて、ひざの出たスエット姿。洗濯はしても、物干しから取り込んだまま。掃除も申し訳程度。こんなくらしが続くうちに、僕は喧嘩するのも面倒になった。

 ある時、彼女に、なんでそんなに必死になって何か書かなければならないのか、真剣に尋ねてみた。すると、「芥川賞をできるだけ若いうちに獲りたい。だから焦っている」と言う。こいつ、気は確かか、と思いましたよ。

 しかし、彼女がそんな夢というか、目標を抱くのは決して見当違いではないかもしれない。彼女の実家の話だと、彼女は小学校から地元の名門高校まで成績はいつもトップ。中でも作文は抜群で、新聞社や雑誌の作文コンクールでは優勝の常連だったそうですから。その〝栄光〟が彼女の強力なエネルギーになったんでしょうね。

 彼女は、自分の〝作品〟を決して見せてくれなかったので、出版社で沢山の文芸作品を読んでいる僕から見て、果たして〝芥川賞レベル〟の才能があるのかどうか、僕には見当もつかなかった。

 そうこうするうち、娘が生まれた。さすがに彼女は、母親としての義務はきちんと果たした。例の執筆活動はいったん休止。おだやかな日々が続いて、やれやれ、と思ったのも束の間だった。

 僕はライターとして、あれこれの雑誌や新聞に寄稿するようになって、それなりの評価を受けて、講演や大学のセミナーなどにも出向くようになったんです。すると、彼女の闘志がまた姿を現しました。子どもの世話はきちんとするものの、家事はほとんど放り出して、机にしがみつく毎日が始まった。僕は僕で、仕事がどんどん入って来て、ライターとして独立することになった。すると彼女は、「私の方がずっと才能があるのに、あなたがものを書いてくらせるなんて、我慢できない」と、彼女なりの〝本音〟を叩き付けた。

 彼女の人生の目的は芥川賞作家として世間から注目され、小説家として活躍することだったんですねぇ。

 独立した後の私の仕事は順調で、結婚と同時に買った小さなマンションのローンも払い終えることができ、彼女は何不自由ない専業主婦、娘は有名私立校と、庶民としては恵まれた環境ができたところでしょうが、彼女はそんなことに満足しない。

 「夫よりはるかに才能があるはずの自分が埋もれていく」という悔しさ、焦り、寂しさがだんだん募っていったんでしょうね、夫婦の間の溝は深まるばかりでした。

 そうして、娘が大学を卒業した3月、妻が離婚を切り出した。私が60歳、妻が56歳でした。妻が言うには、自分にまだ体力と気力の残っている間に「思い切りものを書きたいから、自由にしてほしい」と。正直、僕はほっとした。これで自分も自由になれる、ってね。長年、こんな人生にはどこかで区切りをつけたい、と密かに思ってはいたけど、僕から離婚を切り出したら大波乱が起きる、と怖れていた自分が〝のろま〟だった。

いい家庭ではなかったけど、娘は素直に育って、穏やかな家庭を持てたことだけは、父親としての僕の小さな幸せですね。

 妻はマンションを売って、郷里に帰りました。風の便りによれば、彼女は今も書き続けているとか。

 そうそう、この間、岩手県の62歳の主婦が芥川賞を獲りましたね。ずうっと小説家になりたかった、と言っていましたが、カルチャースクールで小説の勉強をした、普通の明るい笑顔のおばさんだった…元・妻はなぜ、こうできなかったんだろうなと考えたり、世代のさほど違わない彼女だから、今頃どんなに悔しがっているだろうと思ったり…自分達の長い結婚生活って芥川賞の悪夢に覆われ続けていたんじゃないか、と芥川賞の報道や出版物に触れる度に、苦い思いが込み上げてきます。

 決して皮肉で言うんじゃなくて、結婚生活を投げ打って選んだ小説の道なんだから、元・妻には頑張って歩き続けてほしい。80代で受賞だってあるかも…そしたら芥川賞創設以来の快挙じゃないですか。

 私は今は、小さな借家でひとり暮らしをしています。ようやく手に入れた自由な自分の人生、毎日を大切に生きていきたいものです。


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