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【熟年離婚】〈男の言い分56〉

京都を終の棲家にするつもりが、〝民宿〟状態。もう、勘弁してくれ。



 M氏、65歳。元公務員。昨年3月、2歳下の妻と離婚。

 私も妻も、そろって公務員の共働き。一人娘も結婚して、定年退職したら、後は二人でゆっくり、それぞれ好きなことをしながら暮らそう、と―。ここまでは老夫婦のよくあるパターンでしょ。私ら夫婦の場合は、そうはいかなかった。残りの人生をゆっくり楽しむ、終の棲家はそれぞれに―ですよ。

 私の仕事は3、4年ごとに転勤があったので、定年になって落ち着くまでは家を建てないで、賃貸マンションで暮らそう、と妻と取り決めていました。単身赴任も何度かやりましたが、一人娘もすくすく育って、妻ともまぁまぁ仲良くやってきました。―と、ここまではよかったんですが、つまづきの始まりは、娘が伝統工芸を勉強したい、と京都の大学に入ったことです。

古都の魅力にハマる

 娘は、大学まで電車で30分ほどのアパート暮らしを始めた訳ですが、新生活にウキウキする娘に負けずウキウキしたのは私と妻。二人とも、京都なんて高校の修学旅行できり行ったことがないので、まとまった休日がある度に、娘の“安否確認”をしながら、京都の旅をくり返していました。地元にすっかりなじんだ娘に、あちこちの“穴場”に連れて行かれたり、自分達であれこれの名所の“新発見”をしたり―あの頃は、二人とも高校生気分で楽しかったですねぇ。

 そのうち、娘は卒業して、そのまま地元の会社に就職。相変わらず、夫婦そろって京都の旅が続きました。だんだん、行きつけの店も出来て、「大震災の時は大変だったね」とか「風評被害には困るでしょう」とか、やさしい言葉もかけてくれる。観光の“見どころ”ばかりじゃなくて、京都の人も好きになりましたよ。

 そのうち、娘が会社の同僚と結婚、京都に永住することに―。私ら夫婦も、娘の住む街に住みたいと思うようになりました。すっかり、古都の魅力にハマっちゃったんですね。

 長年、我慢して来たマイホームは京都に―と意見も一致。妻の定年退職と同時に、郊外の中古住宅を買いました。小さな庭、濡れ縁、長い木の廊下、黒光りする瓦屋根―ここを選んで良かったね―と夫婦で喜び合いました。今ふり返ると、この時が私ら夫婦の、しみじみ幸せな時だったと思います。お互い、文句なしの“終の棲家”を探し当てたんですから。

 しかし、“嵐”が吹き荒れたのはそれから間もなくでした。

泊まり客殺到

 引っ越しもようやく一段落して、転居の挨拶状も出して―さて、私は、長年の趣味の囲碁の倶楽部を探しにかかりました。妻は、ほら、京都郊外の古民家で暮らしている外国人の女性を取り上げているテレビ番組の大ファンですから、いそいそと“スローライフ”のまねごとを始めました。

 ―そしてひと月ほど経った頃、泊まりがけの客が来始めました。まず、妻の姉夫婦、妹夫婦、従姉妹がいそいそとやって来る。みんな3、4泊で京都見物です。親戚一団が帰ったと思ったら、今度は妻の女友達。元同僚が2、3人で次々―。中には孫まで連れて来る客も。




 転居の挨拶状に「お近くにおいでの際は、ぜひお立ち寄りください」と書きますよね。あれ、誰も本気で書いてないし、受け取る方も、ただの決まり文句と思っているはずでしょ。だけど、わが家の場合は、みんな“お立ち寄り”じゃなくて、本気で真っ直ぐ襲ってくるんですよ。1日の観光を終えて、「ああ、楽しかったぁ」「明日は○○に行ってみなくちゃ」なんてわいわいやられちゃたまりませんよ。しかし、妻はどちら様も大歓迎。「あそこは見た?」「あの店に行ってみたら?」と得意のニコニコ顔。みんなが「また、冬に来るね~」なんて帰ると、私はガックリですよ。「頼むから、もう来ないで!」と祈る気持ちでしたが、祈り届かず、ほんとに「冬の古都は格別」とまたまた客が押しかける。

 そんな日が続いて、ふと、北海道の富良野に移住した囲碁仲間のグチを思い出しましたよ。普段、無口な彼が、珍しく電話で長々嘆いたのは、春から初秋まで、親戚やら友達やら知りあいが、ドッと泊まりがけでやって来る。あー、ほんとに冬が待ち遠しい、と―。

 私が京都永住の考えを話した時、彼は本気で反対を唱えたんです。

 「無料の民宿をやる気か?」って。

 その時は、冗談でしょ、と笑い飛ばしていたんですが、フタを開けてみたら、ほんとに“無料の民宿”になりましたよ。富良野は冬が静かだそうですが、京都は“年中無休”ですからね。何が“終の棲家”だか。

 移住して1年目は、娘に子供が生まれて、孫可愛さに“民宿のわが家”も何とか我慢できましたが、2年目の終わりには、私は限界。妻は「ここに来てよかった!」と、ケーキを作ったり、機織りを習ったり、泊まり客に手料理や果実酒を振る舞ったり、庭にハーブを植えたりと、元気いっぱい。そんな暮らし方がステキだと、5日も6日も居る客も増えて来ました。

もう、勘弁して!

 何一つ、妻と衝突したこともない。客にも不機嫌な顔を見せたこともない。ただ静かに、4畳半の自分の部屋に引きこもるか、囲碁倶楽部に出かけるか―しかし、そんな亭主が、妻は不満だったんですね。「せっかくお客さんが来てくれているのに、愛想がない」「食事の時、黙っていないで」「○○さんが嫌いなの?」「□□さんの話を斜めに聞いていた」「妹が来た時、愛想が悪かった」と言うわ言うわ。「この家の主らしくみんなを歓迎できないの?」

 いやいや、私、民宿のオヤジじゃないですよ、だ。もう、勘弁して!ですよ。

 京都暮しが2年目になろうという時、私は郷里の町にひとり、戻りました。しばらく一人で静かに暮らしたかったんです。妻も、あなたがそうしたいなら、としぶしぶ認めてくれましたしね。ちょうど、古い町営住宅団地の家が空いていたので、そこを“仮住まい”にしました。高台にある家の前庭から、何の変哲もない田園風景が広がって、裏の雑木林ではムクドリが騒いでいる。夜は真っ暗闇。昼近く、回覧板の受け渡しで知りあった親父さんが、1升ビンを抱えて、囲碁の試合を申し入れて来る。―これが自分の故郷なんだ、これなんだなぁ、って思いましたよ。

 別居して丸1年―妻とはお互い、納得し合って別れました。これから20年近く、自分らしく生きる時間が私にも妻にも残っている。娘も、それぞれ幸せならいいんじゃないの?と淡々としたものです。

 離婚には、当面も、その先も金が要ります。私も妻も、定年まで働けたからこそ、自分の生き方を自分で選ぶことができたんですね。その意味では、お互い“円満”に自分の道を選ぶことができたと思います。

 でもね、本当は、夫婦のどっちかが死ぬまで、同じ空を見て暮らすのが一番でしょう。

 春―京都の家は、また大勢の客で賑わうでしょう。私は、町の囲碁名人目指して頑張っています。

 (橋本 比呂)


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