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飯舘村から復興アドバイザーを解かれた田中俊一氏

菅野前村長の〝遺産〟を清算!?

(2021年6月号より)

 飯舘村の復興アドバイザーを務める田中俊一氏(76)に対し、村内で解任を求める動きが昨年起きたが、実現には至らなかった。しかし新年度に入り、同村は田中氏を含む3氏との〝アドバイザー契約〟を見直した。背景には、杉岡誠村長のある思惑が透けて見える。

 田中氏は福島市出身。東北大学工学部原子核工学科を卒業後、日本原子力研究所(後の日本原子力研究開発機構)に入所。1999年に起きた東海村JCO臨界事故では事故収束の最前線に立った。その後は同機構特別顧問、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理、放射線安全フォーラム副理事長などを歴任。東京電力福島第一原発事故を受けて発足した原子力規制委員会では初代委員長(2012年9月~2017年9月)を務めた。

 同委員長退任後は当時の菅野典雄村長の勧めで飯舘村内に住宅を借り、茨城県内の自宅と月の半分ずつを行き来する二地域居住をしている。同村との縁は原発事故から2カ月後、放射線量が極めて高い長泥地区に入り、除染の効果を確かめる実証実験を行ったことだ。これを機に、田中氏は福島県や伊達市の除染アドバイザーに就任。同村とは2018年1月に復興アドバイザーに委嘱されて以降、関係が続いている。

 〝原子力ムラ〟の田中氏がいち早く除染に携わったのは意外だが、懇意にしているマスコミには「原子力を推進してきた立場を反省し、故郷である福島県の復興を前に進めたいという贖罪の気持ちからだった」と吐露している。

 そんな田中氏を、飯舘村復興アドバイザーから解任しようとする動きが昨年起きた。きっかけは、同村内で環境中に含まれる放射性物質の測定を続け、本誌面にも度々登場している伊藤延由さんが、同村議会昨年12月定例会に次のような請願書を提出したことだった。

伊藤さんが提出した請願書

伊藤さんが提出した請願書

 《田中俊一は、村が村民に対し要請している自生の茸や山菜の摂取制限を守らず自ら茸や山菜を摂取するばかりでなく他者に対し摂取を勧める等あるまじき行為を行っている。

 参考資料の記事中にある通り田中は国の基準(100ベクレル/㌔)は科学的合理性が無いと述べておりますが遵法(コンプライアンス)の観点からも許しがたい行為です》

 そのうえで伊藤さんは、田中氏の復興アドバイザー解任を求めたのだ。
 「村内で採れる山菜やキノコは原発事故から10年経った今も、食品衛生法の基準値である1㌔当たり100ベクレルを超える放射性物質が検出されています。これを踏まえ、村では村民に自生の山菜・キノコは食べないよう注意喚起しています。にもかかわらず田中氏は、基準値を超える山菜やキノコを知人らに振る舞っている。復興アドバイザーが村の方針に反してこのような行為をするのは、とんでもない暴挙だ」(伊藤さん)

 伊藤さんが根拠に挙げたのは、読売新聞2020年10月19日付に掲載された次のような記事だった。

 《春になれば山荘のすぐ裏でコシアブラやタラノメなどの山菜を採り、夏には2人の孫娘を呼び寄せて盆踊りに参加。村で「イノハナ」と呼ばれ、秋の味覚として珍重されてきた香茸を村の人におすそ分けしてもらうこともある。

 野山で採れる山菜やキノコを食べる前には、山荘に置いた放射線測定器で線量を測り、記録している。イノハナの炊き込みご飯の放射性セシウムは1㌔あたり1000ベクレル程度で、国の食品規制基準値(1㌔あたり100ベクレル)を上回る。

 田中さんは、「この基準には科学的合理性がない」と言う。「国の放射線防護の目安は年間1㍉シ ーベルトで、これは7万6000ベクレルのセシウムを摂取した場合の線量。イノハナご飯を70㌔以上も食べることはない。1杯なら、歯医者さんで口内のパノラマ写真を撮ったのと同じか、それ以下だ」》

 ちなみに田中氏は、この記事を書いた女性記者にもイノハナご飯を振る舞っている。

 田中氏が、放射線の基準値を現在の1㌔当たり100ベクレルより緩和したい(引き上げたい)と考えているのは、本誌4月号に掲載した、いわゆる「宮崎・早野論文」の記事で明白になっている。

 県立医科大学講師の宮崎真氏と東京大学名誉教授の早野龍五氏が共著した2本の論文(宮崎・早野論文)は、伊達市民の個人被曝データを無断で使用し、低線量地帯の除染は効果がないとする内容だった。しかし科学者や市民団体の調査で、宮崎・早野両氏は同市個人情報保護条例と研究者倫理指針に違反していたほか、被曝データを捏造し「放射線量基準を緩めたい」という結論ありきで論文を執筆していたことが判明。最終的に、2本の論文は撤回に追い込まれる事態となった。

 この背後に見え隠れしていたのが伊達市の除染アドバイザーを務めていた田中氏で、田中氏は宮崎・早野両氏と連絡を取りながら論文執筆に使われた個人被曝データをこっそり入手していた。基準値を緩和したい田中氏にとって、低線量地帯の除染効果を疑問視する宮崎・早野論文は都合がよかったからだ(詳細は4月号を参照されたい)。

長泥に関わったきっかけ

 もっとも、伊藤さんの請願を飯舘村議会は不採択とした。

 「田中氏を復興アドバイザーに委嘱したのは村で、村議会には解任する・しないを決める権限がないというのです」(伊藤さん)

 飯舘村議会は定数10で、菅野新一議長を除き賛意を示していたのは渡邊計議員と佐藤八郎議員の2人だけだった。

 佐藤八郎議員はこう話す。

 「田中氏は報酬をもらっていません。しかし、いくら無報酬でも『飯舘村復興アドバイザー』という肩書きを背負っている以上、(自生の山菜やキノコの摂取制限を求める)村の方針に背いて『山菜やキノコを食べても問題ない』と発信するのは問題だ。国も県も『1㌔当たり100ベクレルを超えても大丈夫』とは言っていない。そういう発信がしたいなら、復興アドバイザーを辞めてから発信すべきだし、村も『なぜ方針に背く発信をするのか』と田中氏に問い質すべき。そのうえで、言動を改めさせるか委嘱を解くのがスジだ」

 佐藤議員が言う通り、田中氏は村から復興アドバイザーとしての報酬を受け取っていない。しかし、田中氏が村内で暮らす住宅(前述・読売新聞記事中に出てくる山荘。元村職員の所有で、村が借りて田中氏に又貸ししていた)は村が田中氏に賃貸する前にリフォームを行っており、その費用は村が負担している。その後、田中氏が住宅を買い取ったとされ、リフォーム代は報酬の前払いととらえることもできる。

 それはともかく佐藤議員が田中氏の解任に賛成したのは、田中氏との因縁が関係している。いわく、田中氏が長沼地区で除染の実証実験を行うきっかけをつくったのは佐藤議員だったからだ。

 「田中氏と初めて会った時のことは今でもはっきりと覚えている。場所は川俣町で、田中氏は原子力関係の人間数人と一緒に来た。まだ国による本格除染が始まる前で、田中氏は『除染の効果を検証するため村内で除染の実験をしたいので適地を紹介してほしい』と頭を下げた。菅野村長(当時)に打診したが断られたので、知人を介して私に相談しに来たと言っていた」(佐藤議員)

 この時、田中氏は「原発を推進してきた者として原発事故の発生を申し訳なく思っている。福島は私の故郷。故郷を再生させるため除染をやりたい」と熱く語っていたという。その熱意に打たれ、佐藤議員は1年先輩だった当時の長泥区長を紹介。田中氏は同区長から、同地区内の公共施設跡などで除染をすることを認められた。

 「あのころは田中氏から1日3、4回電話があり、除染の進ちょくや結果を伝えてもらっていた」(同)

 ところが、田中氏は2012年9月に原子力規制委員会の初代委員長に就任。あれほど原発事故を反省していたのに、結局は政府(当時は民主党・野田政権)がつくった組織に入ったことを、佐藤議員は「裏切られた」と感じた。

 「除染の効果を確かめるって、要するに、そこで得られたデータを国に持ち帰ることが目的だったのか、と。田中氏から原子力規制委員長に就任するという話は事前に聞かされていなかった。揚げ句、国の基準値は科学的合理性がないと言い出したから、この人物はもう信用できないと思った」(同)
 そこから5年が経ち、同委員長を退任した田中氏は飯舘村復興アドバイザーに就任。佐藤議員は久しぶりに再会した田中氏から目を合わせてもらえなかったという。

 「田中氏には『私を騙して長泥に入り込み、上手いことやったな』と嫌味を言ったが、田中氏は無言だった。後ろめたさがあるから反論できなかったんでしょう」(同)

 長泥に入り込んだ、という指摘は的を射ており、田中氏は同地区で現在行われている除染土再利用の実証実験で環境省と村民の橋渡しをするなど、国寄りの行動を取っている。

杉岡村長の思惑

 解任は免れた田中氏だが、村は田中氏との関係を少しずつ見直そうとしている。

 実は新年度から、村では田中俊一氏(飯舘村復興アドバイザー)、佐川旭氏(建築家。飯舘村づくりアドバイザー)、万福裕造氏(農研機構研究員。営農再開推進・環境再生事業に関する飯舘村復興創生専門員)への委嘱を見直した。3氏のアドバイザーとしての委嘱期間は2020年4月から2022年3月だが、必要に応じて専門分野の観点からアドバイスを仰ぐ関係に改めたのだ。

 「村づくり全般についてアドバイスをいただくということでは各人の役割がぼんやりしてしまうので、必要な時に専門分野に特化したアドバイスをいただく関係性に改めた」(同村村づくり推進課)

 田中氏と万福氏は震災後に村との関係が生まれたが、佐川氏は震災前からの付き合いで、菅野前村長のシンクタンク的存在だったという。

 ちなみにアドバイザーとしての報酬は、田中氏は前述の通り無報酬、佐川氏は1回当たり10万円、万福氏は1回ごとに規定に基づく費用弁償と交通費を支払っていた。

 村の動向をウオッチングする人物は、3氏との〝アドバイザー契約見直し〟をこう分析する。

 「菅野前村長の路線を軌道修正したい杉岡誠村長の意向が働いた結果だと思う。杉岡村長が菅野前村長を批判することはないが、職員(農政第一係長)として仕える中で、この路線を継続すべきではないと考えていた。そして村長に就任すると、一気に路線修正するのではなく、国・県や周辺市町村との関係、職員や村民の反応を見極めながら少しずつ改めようとしている。3氏へのアドバイザー委嘱も菅野前村長時代の遺産と考えれば、委嘱期間中とはいえ見直しに踏み切るのは必然だった」

 田中氏のメディアにおけるコメントを見ると、自分の知識と経験を飯舘村の復興に役立てたいという意識は感じ取れる。しかし、そのアプローチは放射能の影響を軽んじているように見える。

 専門家の目から見れば、1㌔当たり1000ベクレルのイノハナご飯は大したことはないのかもしれない。しかし、原発事故・放射能の問題は数値の高い・低いで推し量れるものではない。事故を起こした東電や原発を推進してきた国が何の責任も取っていないことに避難者・被害者は不満や憤りを感じている――この大前提が存在する以上、科学的合理性云々を言われても「原子力ムラの人間が東電・国寄りの発言をしているに過ぎない」との疑念が拭えないのだ。すなわち田中氏は、科学的合理性と併せて東電と国の姿勢も批判すべきなのに、原子力規制委員長を引き受けた時点で既に説得力を失っているのである。



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