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【義母と娘のブルース】【桜沢鈴】なかなかのイナカ 奥会津移住日記⑩

夜の街の思い出



 先日、用事があって会津若松市で一番の繁華街を車で通りかかった。きらびやかだった街はコロナ渦の影響か、だいぶ暗くなった気がする。

 ふと、とあるスナックの看板を探してみたがそこに文字はなかった。

 ちょっと今回は思い出を語りたい。愚痴になるかもしれない。会津若松市への批判になるかもしれない。これはどん底だった会津若松生活でも、さらにどん底のエピソードだ。

 奥会津に移住する前、会津若松市に2年住んでいた。(当連載1回目参照)。その時生活困窮のため、市内のスナックで働いた事がある。

 スナックと言えば、カウンターの中に「マスター」や「ママ」がいて、酒などを提供する飲食店という認識だった。スタッフはカウンター越しに接客し、普通よりちょっと給料が良く、学生や社会人が空いた時間で気軽にでき、お酒は入るがまあ安全なアルバイト――そう考えていた。

 しかし、驚いたことに同市内のスナックは私の認識と全く違う営業形態だった。

 求人雑誌を見て訪ねたその店はカウンター10席、ボックス席が3ブロックあった。

 面接では、私が大阪出身というのが強みになり、「すぐにでも働いてほしい」という事になった。

 衣装を貸してくれると言うので、拝見したところ、なにやらピタピタだった。この時、気付くべきだった。

 出勤日、同僚となる従業員を4人ほど紹介された。挨拶を交わすと、ママは「まずカウンターの中に立って仕事を覚えて」と言う。

 開店時間になり客が続々入ってくる。すると同僚の女性たちは次々に客の横に座り談笑して、お酌をして一緒にお酒を飲み出したのだ。

 待って……これはキャバクラやクラブという形態ではないのか……。「風営法上、大丈夫な店だったのか?」という話は置いといて、私はいわゆる「スナック」の皮を被った「キャバクラ」にアルバイトの申し込みをしてしまったとここで気付いた。

 いや、キャバクラが悪いわけではない。私はとにかく知らない人と話すのがめちゃくちゃ苦手な大阪人なのだ。

 何ならずっと食器の洗い物をしていたい大阪人なのだ。

 そもそも漫画家ってやつはデビューしてから編集さんに接待してもらうだけで、自分が接待するなんて微塵も考えない人種なのだ。

 ママが自分を「大阪出身の新人です」と紹介するので「面白い女なのではないか」とハードルが上がった。しばらくすると、お客さんの隣に座れと言われた。私は緊張して、強みである大阪弁が出てこず、なぜか標準語っぽい言葉しか出てこなかった。

 お酌の仕方も、タバコの火のつけ方も、なにを喋っていいのかもわからない。常にお客さんにリードさせるダメダメ接客だったが「新人」というキーワードで許してもらえた。

 お酒のテンションを借り、なんとか受け答えしていただけだったが、なんと、気前のいいお客さんに1万円のチップをもらったのだ!

 新人で、最初についたお客さんにチップ1万円をもらうとは快挙中の快挙。これはすごいお仕事かもしれない! 一瞬そう思った……が、仕事というのはなんでもそう甘くはない。私はこの後、かなり大変な思いをする事になったのだ。   (続く)


さくらざわ・りん 大阪府出身。漫画家。7年前に会津若松市に移住し、現在は奥会津で暮らす。代表作『義母と娘のブルース』はドラマ化されて大ヒットした。



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