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【原発事故・生業訴訟】仙台高裁が断罪した〝国の責任〟(ジャーナリスト 牧内昇平)

見直し迫られる原賠審「中間指針」

 国と東電はまだ責任を認めないのか――。福島第一原発事故をめぐる国と東電の責任を追及する「生業を返せ、地域を返せ! 福島原発訴訟」(生業訴訟)。仙台高裁で9月末に言い渡された控訴審判決は、一審に続いて原告住民の「完全勝利」だった。原告たちが喜んだのもつかの間、国と東電は判決を不服とし、最高裁に上告した。震災から10年。3000人を超える原告団には高裁判決を前に亡くなった人も多い。この期に及んで責任を認めようとしない国・東電の姿勢に、原告たちは怒り心頭に発している。(文中敬称略)

 9月30日、仙台高裁で感じた喜びと安堵は、原告団長の中島孝(64)の脳裏に焼き付いている。

 「勝訴」
 「再び国を断罪」
 「被害救済前進」

 壇上にのぼった原告団の仲間が誇らしげに3本の旗をかかげると、裁判所の正門前にワーッという歓声が沸き起こった。

生業訴訟②

 原告団を代表して中島がマイクを握る。法廷を出てきたばかりで興奮が冷めやらない。マイクのスイッチが切れているのにも気づかず、中島はこう叫んだ。

 「国を明確に断罪しました! これまで被害者がどれだけ苦しんでも一切関係ないと言い逃れをはかってきた国を、厳しく追い込んだ判決です。完全に勝ち切りました! 我々はこれを足場にして、次につなげていく必要があります」

 一緒に闘ってきた仲間たちが、雄たけびを上げている。大阪や群馬などから応援に駆けつけてくれた、全国各地の原発集団訴訟の原告たちが、目に涙をためて拍手している。

 おれたちは勝ったんだ――。中島が実感した瞬間だった。

生業訴訟①

法廷を出た直後にマイクを握る中島孝さん(筆者撮影。以下同)

 生業訴訟とは、何か。一言でいえば、「原発事故の責任を追及する全国最大規模の訴訟」である。

 避難指示が出て一方的に故郷を追われた浜通り。自主避難するかどうかの選択を迫られた中通り。原発から距離はあるものの、放射能汚染の不安に襲われた会津地方や茨城、宮城など隣県の人びと。住む場所や事情が異なるさまざまな住民に対して、生業訴訟の原告団は「仲間に加わりませんか」と呼びかけた。その結果、2013年3月11日の提訴後も原告の数は増え続け、今では4000人近くに達したのだ。

 この大原告団を束ねてきたのが、中島だった。

 相馬・松川浦漁港にほど近い住宅街でスーパー「中島ストア」を営む商売人だ。漁港でとれた鮮魚を刺身にし、手作りの総菜もよく売れた。忙しかったが、店の経営は順調だった。

 だが、原発事故ですべてが変わった。漁ができなくなり、住民の中には避難した人もいる。地域の賑わいはなくなった。鮮魚店や民宿などでつくる組合の組合長だった中島は、仲間たちの「このままでは首をつるしかない」という声を聞き、東電との賠償交渉に乗り出した。しかし、交渉は東電の不誠実な対応が目立った。弁護士たちと共闘し、裁判を起こそうと決心した。

 弁護団から団長を頼まれたときは、「店がつぶれてしまう」とためらった。だが、「店は私と息子でなんとかするから、あんたはやってきな」という妻の言葉に背中を押された。2012年の年末のことだ。

 それから約8年。

 裁判の最大のポイントはずばり、「国の法的責任が認められるか」だ。

 一審の福島地裁判決(2017年)は住民たちの「勝利」だった。国と東電の責任を認定。そのうえで、合計約5億円の賠償を原告に支払うよう命じた。

 しかし、原告・被告の双方が控訴したため、仙台高裁で控訴審が開かれた。高裁段階で国・東電の主張をもう一度打ち砕けるかが、原告側の最大のキーポイントだった。

 迎えた控訴審判決。仙台高裁の上田哲裁判長は、国の事故防止のための対応を「著しく合理性を欠く」と指摘。東電だけでなく国の責任を改めて認定した。そのうえで、原告たちへの賠償額を合計約10億円に倍増させた。

 中島の言葉通り、3年前の「勝利」のさらに上を行く、「完全に勝ち切った」判決だった。判決後、中島ら原告団は国会や霞が関を回り、上告断念と被害者の早期救済を求めた。

 ところが――。

 国と東電は控訴審判決を不服とし、最高裁に上告した。判決は確定せず、今後の審理の舞台は最高裁に移ることになった。

 「いったいどれだけ時間をかければ、いったいどれだけ裁判の結果を見れば、救済しようと態度を決めるのか。国や東電という加害者側の態度がはっきりと表れている。非常に情けなく、腹立たしい」

 中島の怒りの言葉である。

「国は『唯々諾々』」判決が厳しい指摘

 生業訴訟・控訴審判決をふり返りたい。まずは「国の責任」について、判決がどう書いているかを見てみよう。

 2002年、国の地震調査研究推進本部(地震本部)が、いわゆる「長期評価」を公表した。福島県沖では「今後30年間に6%の確率でマグニチュード8級の大地震が起きる」との予測だった。東電がこの指摘を真剣に受け止めていれば、津波は予見できた。そしてその後速やかに対策を打っていれば、原発事故は避けられただろう。対策を東電に講じさせなかったのは、国の責任だ――。

 おおざっぱな道筋は一審判決と同じである。控訴審が違うのは、判決文に書き込まれた「言葉」だ。一審以上の歯切れのよさで、国を断じているのだ。

 たとえば、東電が先ほどの長期評価を軽視した場面だ。判決によると、長期評価はたくさんの学者が集まって議論し、作られた。それなのに東電は、反対していた一人の学者に問い合わせただけで、長期評価の信頼性を極めて限定的に捉え、東電を規制する立場の国(原子力安全・保安院)に報告した。国はこの東電の報告に納得してしまった。この国の対応について、判決はこう書いている。

 「不誠実ともいえる東電の報告を唯々諾々と受け入れ(中略)、規制当局に期待される役割を果たさなかった」

 斬って捨てた感がある。ではなぜ、国と東電は対策を急がなかったのか。判決はこう指摘する。

 「(津波に対する)喫緊の対策措置を講じなければならなくなる可能性を認識しながら、そうなった場合の影響(主として東電の経済的負担)の大きさを恐れる余り、そのような試算自体を避けあるいはそのような試算結果が公になることを避けようとしていたものと認めざるを得ない」

 この指摘は重い。津波対策にかかる「お金」と住民の「安全」とを天秤にかけ、「お金」を選んだと言っているのと同じである。

 国と東電の責任はどちらが重いのか。一審は東電を「1」、国を「2分の1」としたが、控訴審は両者の責任は「1対1」だと判断した。国を「断罪」する控訴審の姿勢が、ここにも表れている。

原告弁護団「国の責任、決着つけた」

 同種の裁判はたくさん開かれているが、国の責任をめぐっては、勝敗がちょうどトントンの状態にあった=表1=。

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 7対6。住民勝訴の判決が少し多い印象だが、2019年以降に限れば、3対5と住民側の負け越しだ。2019年9月に刑事裁判で東電幹部に「無罪」が言い渡されたことが影響しているとの見方もあった。

 これまでの13例はすべて地裁の判決で、高裁で国の責任への判断が示されるのは、生業訴訟が初めて。ここでの住民側勝利は、国の責任をめぐる議論の流れを大きく変える可能性がある。

 原告弁護団の事務局長を務める馬奈木厳太郎弁護士は10月13日の記者会見でこう話した。

 「規制当局として期待されている役割を果たしていない、と厳しく非難した判決。これは、国の責任を認めた『8例目』の判決ではない。国の責任論については『決着をつけた』判決だ」

 住民側が勝ち取ったもう一つの成果は、賠償の水準を引き上げたことだ。判決が認めた事故の損害額を地域ごとに示すと、表2のようになる。

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 帰還困難区域や居住制限区域に住んでいた原告について、国と東電がつくった賠償の指針・基準を大幅に超える損害額が認められた。

 さらに注目すべきは、賠償のエリアを広げたことである。

 具体的には、会津地域や栃木県那須町に住み、事故当時子どもや妊婦だった人に対して、6~11万円の賠償が認められたのだ。

 これらの地域はこれまで賠償の対象外とされてきた。事故直後から放射能汚染の不安を感じながら暮らしてきたのに、原発から少し距離があるため、「事故と無関係の人」とされてきたのだ。たとえ少額でも賠償が命じられたということは、「事故の被害者」と認められたということだ。ご本人たちにとって、これは天と地ほどの違いがあるだろう。

原告以外にも広がる可能性

 判決の影響が裁判の原告たちにとどまらない可能性があることも、書き加えておきたい。

 生業訴訟は、原告全員が個別に被害をうったえる「個別立証」ではなく、地域ごとに代表者を決めて立証する「代表立証」というスタイルをとった。そして裁判所も、地域ごとに賠償額をはじき出した。

 つまり、同じ地域に住んでいたAさんとBさんの賠償額に違いはない。これを展開すると何が言えるのか。「同じ地域に住んでいた人であれば、この訴訟の原告であろうとなかろうと、今回の判決が認めた賠償を受け取れなければおかしい」ということだ。原告団には加わらなかったが、Aさん、Bさんと同じ地域に住んでいたCさんも同額の賠償を受けられる。そういう理屈になるだろう。地域全体に影響を及ぼす可能性がある判決結果なのである。

 原発事故集団訴訟に詳しい大阪市立大の除本理史教授に判決の感想を聞いてみた。国の責任を認めたことについて、除本教授は「原発事故はいったん起これば甚大な被害をもたらす。結果の重大さを考えれば、規制権限のある国はもっと予防的に対応する必要があったと判断している。事故の特性をきちんと踏まえた判決だ」と評価した。賠償水準についても、「一審判決よりも賠償額が減った地域もあるので手放しには評価できないが、福島県全域や県外も含めて、賠償の地域的な範囲が広がったという点は高く評価できる」と話した。

「中間指針」見直しへ

 そして、除本教授が結論として語ったのがこれだ。

 「法的責任が再び認められ、賠償額も一審に比べて大幅に増額した。この判決を踏まえ、国と東電は実態に合った賠償をすべき。原賠審(原子力損害賠償紛争審査会)による中間指針の見直しを急ぐべきだ」

 筆者も同感である。

 おさらいになるが、国は今も、福島原発事故を未然に防げなかった「法的責任」を認めていない。国が認めているのは「社会的責任」だけだ。たとえば国は「福島復興再生特別措置法」のなかで、「福島の復興及び再生」を「これまで原子力政策を推進してきたことに伴う国の社会的な責任を踏まえて行われるべき」としている。

 これを筆者なりに噛みくだくと、こんな感じになる。

 【自分たち(国)が悪かったわけじゃないけど、原子力政策を進めてきた手前、事故にも対処しなければいけないな】

 しかし、「法的責任」が裁判所に認められれば、国が原発事故の「加害者」だということになる。そうなれば、事故への対応は「社会的責任として行う」というレベルではなく、「被害者に対する『償い』」というレベルになるだろう。当然、その真剣味について、再考を迫られることになる。

 まず見直すべきは、事故被害者への賠償のルールだ。

 住民たちへの賠償ルールのおおもとは、国が作ってきた。国の原賠審が「中間指針」を作り、この指針に基づき、東電が自主賠償基準を作ってきた。東電だけでなく、国も「加害者」ならば、加害者たちが作り上げた基準をなぜ受け入れなければならないのかという話に当然なる。原賠審で中間指針の見直しを行うのは必須の作業になってくる。

 ここまで見てきた通り、生業訴訟・控訴審判決のインパクトは極めて大きい。だからこそ国と東電は、おいそれと判決結果を確定させられないのだろう。ほかの裁判が全国各地で続いていることもあり、「上告」という判断は想定の範囲内だ。

 しかし、本当にそれでいいのかと筆者は問いたい。

 7年前の2013年に中島ら原告団は提訴した。判決によると、控訴審が結審した今年2月の時点で、その仲間のうち93人がすでに亡くなっている。今は健在だが、高齢の原告もいる。これ以上、救済・賠償を先延ばしにしていいのか。みんなが生きているうちに、事故の法的責任がある者として、誠意ある謝罪を行わなくていいのか。筆者は国と東電の上告取り下げを求めたい。

生業訴訟④

控訴審判決を前に仙台市内をデモ行進する原告団(左から2人目が中島さん)

 10月の半ば、よく晴れた日に「中島ストア」を訪れた。

 「いらっしゃいませ!」

 広い店内に中島のバリトンが響く。レタスを棚に並べ、刺身を切り……。裁判関連の予定がない日は、一日じゅう店内を走り回っているという。

 こんなに忙しいのに、大原告団の団長として裁判を闘い続けるのは大変ではないか。そう問うと、中島は「死ぬときにのびのびした気持ちで死にたいからね」と話した。

 中島はいう。生活の忙しさにまみれて、原発をはじめあらゆる社会問題に無関心だった。第一原発が爆発したとき、無関心だった自分にも責任の一端はあると感じた。だから、これまで原発政策を傍観してきた世代の責任として、やらねばならないことはたくさんある。被害の救済だけでは終わらない。脱原発に舵を切らせ、原発がなくても地域が豊かに暮らせるような経済ビジョンを見つけなくてはならない。

 「最高裁が決着するにはさらに数年かかるかもしれませんが、私のゴ
ールはさらに先にあるので、焦ってはいません。むしろ地裁、高裁と連勝できて、順調すぎるくらいです」

 カツオに包丁を入れながら、中島はきっぱりと、こう言い切った。


 まきうち・しょうへい。39歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。

牧内昇平

個人サイト「ウネリウネラ」


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