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【熟年離婚】〈男の言い分55〉

夫婦のいざこざで別れるんじゃない。離婚は、妻を護ってやるために役立つこともあるんですよ。


 T氏。59歳。会社員。6歳下の妻と「死後離婚」を考え中。

 普通、離婚ていうのは、夫婦のいざこざの末にやるもんだよね。

 うちの場合は違うんです。夫婦、仲良くやって来たから、私が死んだら、妻ひとりに大きな荷物を背負わせたくない。―その荷物って私の親父の世話と、いずれ来る介護です。いや、私、まだ死なないですけど、成人病を抱えていますからね。妻は私より6歳若くて健康です。私の父親は今、82歳だけど、びっくりするほど丈夫。しかも“昔の男”の見本のような人間。―ということは、私が死んだ後、親父の世話と介護は、妻ひとりの肩にかかって来るわけです。これ、私ら夫婦だけの悩みじゃない。どこの夫婦にも、待ってる問題じゃないですかね。

世の中で一番偉い人

 私の家は、昔からの農家ですが、大きな農地があるわけでなし、百姓は俺の代まででいい、という親父の考えに従って、私は高校を出るとすぐ、地元の建設会社に就職。仕事の休みの日は、両親の農作業を手伝うという具合でした。

 私が26歳の時、会社の同僚で事務員だった今の妻と結婚。息子2人を授かって―これまで頑張って来ました。妻は、私の両親と一緒に農業―ほら、爺ちゃんばぁちゃん母ちゃんが細々続ける“三ちゃん農業”ってやつです。

 ところで、私が生まれ育った地域では、跡取り息子が嫁をもらったら、両親は、家の敷地内の「隠居屋」という別棟の小さな家に移り住む習わしがあるんです。若い夫婦に家のかじ取りを任せて、老親は口出ししない、という、いい風習でしょう? 昔は、いつまでも隠居屋に移らないで家を仕切っていると、集落の笑いものになった、と母に聞かされました。

 わが家も、両親はすぐ隠居屋に移りましたが―それは形ばっかりで、親父は隠居屋に寝に帰るだけ。母も仕方なく母屋で私ら夫婦と一緒に暮します。問題は、親父。大昔から続く日本の“家長”気分満々で、私ら―私と妹二人は小さい頃から、父親は世の中で一番偉い人と思って育って来ました。可哀想なのは母です。昔の女の人はみんなそうだったんでしょうが、夫の言いなり、威張られっぱなしを、自分の定めのように諦めて―飯が固い、味噌汁が薄い、草取りが遅い、なんだかんだ、と。母が何かの用事で出かけるのが気に入らなくて、帰りが予定より5分でも遅れると機嫌最悪。―いや、親父は情も厚い人なんですけどね。年頃になった妹達は、「結婚するなら、絶対、長男じゃない人。親と同居しなくていい人」と言って、見合いやら何やら繰り返して、望み通りの結婚をして、わが家から「イチ抜け」していきました。

 私ら夫婦も、息子達もそれぞれ独立、孫も5人、ようやく人生の坂道で一息つこうという時―に、母が突然、脳梗塞で亡くなりました。2年前のことです。親が決めた相手に18歳で嫁いで来て、夫に従うばかりの人生でした。「昔っから、女はこうやってがまんしたもんだ」と、笑っていた母に、これから夫婦で親孝行してやろう、という矢先です。嫁姑のトラブルなど一度もなかった、と言う妻の悲しみも大変なものでした。

 そして、私らがびっくりしたのは、―親父の落ち込み様です。「そうなら、なんで母ちゃんが生きてる間にやさしくしてやんなかったの?」と私が言ったら、爆発。熱いお茶の茶碗が飛んできました。


妻を護るには 

 それからが大変です。母の初七日も終わらないうちに、親父は隠居屋から母屋にせっせと引っ越して来ました。それはそれでいい。問題はそれからです。

 親父は「寂しい」と口に出すようになりました。あんなに母を大事にしなかったのに、今さら何を言うんだ、と腹が立ちましたね。そして親父は母にして来たことと同じことをやり始めたんです。私の妻に、朝飯が遅い―4時には起きてるんですから―飯が固い、スーパーの出来合いのおかずはいやだ、風呂の湯を毎日変えるのは贅沢だ、畑の草取りが雑だ、外出する服が派手だ、帰りが遅い―。

 そのうち、私は会社、妻は畑で留守の時に、昼酒をやるようになりました。ビールの空き缶が家の裏にいっぱい捨ててあるので気が付いたんです。これではまずい、と近所の人に頼んで、パークゴルフに混ぜてもらったんですが、喧嘩して途中で帰って来てしまいました。なんとか友達ができないかと、デイサービスの見学にも連れて行ったら、「年寄りの幼稚園なんかに行ってたまるか」と。(介護施設と利用者の方々、すみません)。

 日中、私は仕事で留守でも、妻は一日中、親父と一緒では大変すぎる、と、近所の食料品店でパートをやるようにしました。―すると、妹達が「お姉さん、何もわざわざ勤めになんか行く必要がないでしょう」「お父さん一人で可哀想」と―。彼女らはそれぞれ、車で1、2時間のところに住んでいて、たまに顔を出す。すると親父は「〇子はやさしい」「〇恵は気が利く」と、ご機嫌。彼女らは親父の年金が出た頃にやってきて、“ガソリン代”と言って親父が持たせる小遣いがほんとは目当てじゃないの?と勘ぐりたくなりますよ。

 私の家から2㌔ほど離れた幹線道路沿いに、3年後に複合型の大型商業施設ができるそうで、今、サラ地になった畑にブルがいっぱい入っています。その周りにも家が建ち始めました。わが家もいずれ、田畑を宅地用に売るつもりです。妹達は「買い物が楽しみ~」と言っていますが、本当は「財産分けが楽しみ~」なんでしょう。だからこそ、私がもし死んだ後の妻を護ってやらないとねぇ。

 ある時、妹達が口をそろえて「80過ぎたお父さんを一人にしておくなんて、お姉さんも薄情だ」と―「そんならお前らが今すぐ親父を連れて帰れ」と大喧嘩になりました。

 親父は医者がびっくりするほどどこも悪くなくて健康年齢60代半ば、なんだそうで、私はといえば、―高血糖、高血圧、悪玉コレステロール満杯で、パタッと逝くかもしれない。とすると、妻が残されて、親父の世話と介護が待っている。妹達の監督付きでね。どうしたら妻を護ってやれるか、考えていたら、飲み友達が博識で、「死後離婚」ってものがあるのを教えてくれたんです。

 というわけで、親父にも妹達、親戚に内緒で、そうしようと―しかし、親父の世話から解放されても、妻は、実家に一人で暮らしている、82歳の母親の世話が待っているんです。どっちを向いても同じです。という私らも、いずれ、世話されるようになるんですねぇ。

 ところで、親父の“悪口”をさんざん言ったけど、ふと気が付くと、俺達、還暦前後の男達も親父の姿とそう変わらないんじゃないですかね。家族に見放されないように頑張りましょうよ。
(橋本 比呂)

註・死後離婚 自分と、亡くなった配偶者の血族―義父母、義兄弟姉妹との姻族関係を終了させること。配偶者との関係には影響を与えないため、財産はそのまま相続できる。自治体窓口に配偶者の死亡を証明する戸籍謄本などを持って行き、書類に押印すれば手続きは完了する。親族側は拒否することはできない。死後離婚は近年増え続けており、2006年には1854件だったものが、2015年には2783件に上っている。

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