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【尾松亮】廃炉の流儀 連載10-汚染水処分を住民が議論した先例

 福島第一原発でタンク貯蔵されている処理後の汚染水について、政府は海洋放出方針を早期決定する意向を表明した。周辺自治体や漁業者等を対象にした説明会で、政府は海洋放出を「より確実な方法」と説明してきた。しかし、誰の利益・権利を考えたときに海洋放出が「より確実」なのか、他の選択肢と比べて「より確実」と評価するプロセスに地域住民の参加機会をどの程度保証したのか、それが問われる。

 同様に大量の汚染水処分が課題となったスリーマイル島原発事故(1979年)のケースでは、幅広い住民参加のもと10年以上かけて処分方法を議論している。この汚染水処分をめぐる議論プロセスで重要な役割を果たしたのが、スリーマイル島原発(TMI)「汚染除去」市民助言パネルである。

 この市民助言パネルが設立されたのは1981年11月。原発事故後の汚染除去活動に関して「周辺地域住民からの意見を取り入れ」、「意思決定に立地州(ペンシルベニア州)政府を参加させる」ことが目的であった。これは連邦助言委員会法に基づく米国原子力規制委員会(NRC)への助言組織である。同パネルでは13年間を通じ計78回の会合が行われ、健康影響や除染費用の確保など幅広い問題が議論された。

 同パネルの重要議題の一つが、事故後生じた大量の汚染水(処分時8706メトリック㌧)への対策だ。スリーマイル島原発は周辺住民にとって重要な水源であるサスケハナ川中に位置している。住民たちが最も恐れたのは、大量の汚染水がサスケハナ川に流出することであった。

 「放射性物質が下流に流され、ランカスター住民の飲み水を汚染しないよう監視すること。これが私にとって、助言パネルで最大の優先事項でした」とモリス元ランカスター市長は言う(2020年7月15日付AP通信記事)。モリス氏は同原発から25㌔に位置するランカスター市を代表して市民助言パネルに参加し、後にパネル議長も務めた。

 当初、事業者GPU Nuclear Corporationの方針は「NRCの規制規準に従って(汚染水を)直接サスケハナ川に放出できる」というものであった。しかし住民からの反発が強く、汚染水直接放出が実行されることはなかった。1981年、NRCは「汚染水の処理(汚染レベル低減)作業が完了するまで、処分方法の決定を延期する」「原発敷地内で保管が可能なレベルまで汚染度を下げ、保管を続ける」と結論を留保した。

 その後市民助言パネルで、市民団体や専門家が参加して「直接放出」以外の汚染水処分方法の検討が続けられた。米国エネルギー省の資料によれば、直接放出計画の撤回に至る議論で、主要な役割を果たしたのが市民団体サスケハナ渓谷アライアンス(SVA)であった。SVAは市民助言パネル会合に積極参加し、汚染水処分方法の代替案を提案し続けた。

 市民助言パネルは、特定のステークホルダーに対する事後承認手続きの場ではなかった。「直接放出」計画撤回後、同パネルでは汚染水処分方法に関して幅広い市民から意見を募り、約10年間かけて議論を続けた。議事録その他の記録からは、同パネルが可能な限り市民の参加機会を保証するために様々な工夫、努力を重ねていることが分かる。(次回へ続く)

おまつ・りょう 1978年生まれ。東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学。その後は通信社、シンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。現在、「廃炉制度研究会」主催。

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