見出し画像

【高野病院】異世界放浪記⑧

 先日異世界を辿る、一人ぼっちの修学旅行に出かけてきました。目的地は先日オープンした東日本大震災・原子力災害伝承館。伝承って何だろうと考えながら、10年以上前のことを思い出しながら、広野町から北へ車を走らせました。

 初代高野病院院長は原発事故後、色々なことに憤る私に、「誰のことも恨むな。正しいことをやり続けていればいいんだ」と言っていました。だから私は誰も恨まない。だけど恨まないことと、された仕打ちや向けられた悪意、言われた悪口などを、なかったことにすることは違うと思っている。それは紛れもない事実だから。私が自分の体験をお話をする時は、決して嘘は言わないことを心がけてきました。私の話を聞いて、被害者意識が強いのではないかと思う人もいるかもしれませんが、私が感じたことは事実なんだもの。私は小説の中の登場人物ではなく、あの時をこの双葉郡で過ごしてきた人間なんだもの。そしてその時に感じたことを伝えることが大切だと思っているのです。

 例えば、目の前に広がる空き地をみて、その土地に初めて来た人は、何もないところだなぁとしか思わない。でもその土地に住んでいた人には、目の前に広がる空き地に思い出という映像が重なるはずです。そしてそれがきれいになくなっている現実が、どんなに悲しいことか。運転しながら目に浮かんだ景色も、10年経つのに昔のままで、未だに中に入れないようにゲートがしてある民家やお店に、被るように人や車の行き来が見えるようでした。原発事故がなければ、今も同じように賑やかだったはずの町々の、その場所での思い出がよみがえるたびに、涙がこぼれ落ちました。変わっていく景色は何も語らない、だから人が伝えていかなくてはいけない。そう考えると、この施設は、本当に伝承館なのだろうか、と考えてしまいました。語り部口演が日に4回実施されるから、伝承だと言われればそうかもしれない。実際に語り部の方も、展示されている物は語らないから、自分達が語ると言っていました。しかし、伝承館の語り部は、個別の団体などを誹謗中傷しないと決めているそうです。誹謗中傷からは何も生まれないからと。一般的に誹謗中傷って「根拠のない悪口を言う」意味だと記憶していたから、この場所で伝えることに、根拠がないことなんか何一つないのにと思ってしまいました。原発建設時に安全性よりも利便性を優先し、高さを30㍍低くしたんだよって、ここで言ったら、それは誹謗中傷になるのかしら。記憶の風化を待ち、不都合なことは消し去り、耳障りの良いことだけを残して伝えるのが伝承なのかしら。言っても何も変わらないと言うけれど、言わなくても何も変わらなかったじゃない。あの時から今日まで、何も言わず、何も思わずに、笑って過ごせた人がどれくらいいたでしょうか。根拠はあるんだもん、私達は伝えるべきではないでしょうか。あの時の心の叫び、失った命や故郷に対しての嘆きと無念は、すべて私達が経験した、嘘偽りのないことで、その時の感情は、誰にも根拠がないと言われることはないんだもん。

 将来を担う子供たちのためにと思うなら、格好悪い大人だと思われてもいい。這いつくばりながらも、故郷を取り戻そうと、大切なものを守ろうと戦ってきた、ありのままの姿を語りたい。綺麗な建物の中に入っている物ではなく、整備すらされず荒れ果てた場所や、今はなくなってしまったけれど、確かにそこにあったものこそが、私達が記憶し、伝えていくべきものではないのかな。以上修学旅行の思い出作文でした。


たかの・みお 1967年生まれ。佛教大学卒。2008年から医療法人社団養高会・高野病院事務長、2012年から社会福祉法人養高会・特別養護老人ホーム花ぶさ苑施設長を兼務。2016年から医療法人社団養高会理事長。必要とされる地域の医療と福祉を死守すべく日々奮闘。家では双子の母親として子供たちに育てられている。2014年3月に「高野病院奮戦記 がんばってるね!じむちょー」(東京新聞出版部)、2018年1月に絵本「たかのびょういんのでんちゃん」(岩崎書店)を出版。

よろしければサポートお願いします!!