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風化させてはならないSPEEDI問題

根強い現場責任者・内堀氏への疑念

(2021年3月号より)

 震災・原発事故からの10年を振り返る中で忘れてならないのが、SPEEDI(=スピーディー、緊急時迅速放射能影響予測システム)のデータが避難に生かされず、無用な被曝をした住民がいたことだ。とりわけ県がそのデータを活用できず、届いていたメールを消去してしまった問題は大きい。この機会にあらためて検証する必要がある。

 SPEEDIは関係機関とネットワークを結び、放出源情報や気象条件、地形データを基に大気中濃度や被曝線量などを予測するシステム。原子力施設での事故で放射性物質が放出された際の災害対策として、約130億円かけて開発された。年間維持費用は約7億8000万円。

 運用しているのは文部科学省の外郭団体である原子力安全技術センター。予測データはオフサイトセンター(事故が発生した施設=オンサイトから離れた場所で応急対策を取るための施設)をはじめ、関係省庁、当該自治体(県など)などに送られる。当然ながら、福島第一原発事故でもフル活用されるはずだったが、実際に役立つことはなかった。

 原子力安全技術センターや原子力安全・保安院では仮定の放出量に基づき、原発事故直後から約5000枚の飛散予測データを作成していた。だが、公表されたのは2011年3月23日に1枚、同年4月11日に1枚、わずか2枚のみ。しかも、各地の放射線量などを基に後からシミュレートしたものに過ぎなかった。

 民主党政権は5月になってからデータを全公表し、細野豪志首相補佐官(当時)は「公表して社会にパニックが起こることを懸念した」と釈明した。その後の報道によると、関係機関の連携不足により、地元市町村はおろか、首相官邸にすら届いていなかったというからあきれる。

 驚くのは、県も震災2日後には原子力安全・保安院から飛散予測データを受け取っていたのに、市町村に伝えていなかったことだ。

 県は「ファクスを受け取った時点で半径20㌔圏内の住民はすでに避難しており、過去のデータとなっていた」、「放出量が最小値で試算されていた」として、信頼性に乏しいと判断し、当時の佐藤節夫県生活環境部長の判断で非公表を決定していた。

 震災当日の深夜以降は、原子力安全技術センターから県原子力センターにメールで1時間ごとに更新されたものも届いていた。ところが、県は15日朝までメール受信に気づかず、さらにメールの受信容量を確保するため、送られてきた飛散予測データを消去していた。受信メールは計86通。USBに保存されていたり、印刷され残っていたのは21通。65通が消去された格好だ。
 県では原子力安全対策課のウェブサイト上に「SPEEDI電子メールデータ削除問題」という特別ページを設け、調査結果をまとめている。

 そこでは、県の対応の問題点について、①県災害対策本部事務局におけるSPEEDI試算結果の情報共有不足、②県災害対策本部事務局における県と国の見解相違に係る詳細調査の懈怠――と総括している。要するに、飛散予測データの重要性が職員間ですら認識・共有されておらず、その後SPEEDI情報の扱いがマスコミなどで話題になった後も詳細調査を行わなかった、と。

 県原子力安全対策課の担当者は反省の意を示す一方で「飛散予測データを正確に読み解くのは難しいし、時間によって異なるデータを避難指示の参考にするのは現実的に考えて難しかっただろう」と述べる。

 ただ、データの中には、現実の汚染状況と同じく、福島第一原発から北西方向への飛散を予測していたデータがあったのも事実だ。

 原発事故直後、福島第一原発北西方向に当たる浪江町赤宇木地区、同町津島地区、飯舘村長泥地区は高濃度の放射性物質で汚染され、空間線量が100マイクロシーベルト毎時を超えたところも複数あった。放射線量が高いと知らず、子どもを連れて給水や買い物に出かけたり、原発20㌔圏内から避難してきた人もいた。子どもに無用な被曝をさせたことを後悔している人も多い。それだけに、情報を活用できなかった県への怒りは根強く残っている。

 本誌2012年6月号では、浪江町の馬場有町長(当時、故人)が「本当に腹が立ちます。町民は死に物狂いで避難し、結果的に何も知らないまま(放射線量が高い)津島地区に留まったわけですから」と怒りを表し、「国・県を刑事告発する」とまで述べていた。

 当時副知事で、現地災害対策本部長を務めていた内堀雅雄氏(現知事)に対する不満の声もこの間多く聞かれている。

 知事(当時)の佐藤雄平氏、内堀氏は、飛散予測データが提供された有無を含め、報告を受けていなかったと県議会で答弁している。そうなると、前出・佐藤県生活環境部長の独断で飛散予測データの非公表を決定したことになるが、いくら何でもそんなことがあり得るのか。

さらなる検証を行うべき

 内堀氏は震災直後の3月11日、大熊町のオフサイトセンターに入ったが、原子力安全技術センターは翌3月12日から、ファクスで飛散予測データを送っていたという記録が残っている。つまり、内堀氏がファクスを見ていた可能性は高い。

 内堀氏が見てもその重要性を把握していなかった可能性はあるが、東大卒の官僚(旧自治省)出身で、現在も国の動向を見て慎重な発言に終始することが多いだけに「国がSPEEDIの情報を控えているのに、県が先駆けて公表するわけにはいかない」と考えて非公表を指示したとしても不思議ではない。

 本誌2011年8月号で、県災害対策本部原子力班の片寄久巳リーダーは「確かに内堀副知事はオフサイトセンターにいたが、放射線対策だけでなく、震災全般の指揮をとっていたので、国から送られたデータ地図を見る余裕があったかどうかは分からない」とコメントしていた。

 また、内堀氏は後日、「あの時は非常に混乱していて、やるべきことをやりつくせなかった」と反省を口にしていた。真相はどうだったのか、疑念は燻り続けている。

 SPEEDIをめぐる問題に関しては、国会の「東京電力福島第一原発事故調査委員会」(国会事故調)と政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)で検証されている(本誌2012年8月号参照)。

 それによると、国会事故調では「緊急時対策支援システム(原発の状態を監視し、外部への放射性物質の放出状況を予測するシステム)から放出源の情報が得られなかったため、SPEEDIは初動の避難指示に役立つものではなかった。ただ、そのことについて十分な説明がなされなかったため、誤解や不信感を招いた」と結論づけた。一方の政府事故調では「それでもSPEEDIを活用する余地はあったはずだ」とその対応に疑問を呈した。

 県では両事故調の検証と、前出の電子メールデータ削除問題の調査をもって、検証は終わったという考えを示している。さらに、原子力規制委員会は2014年、原子力発電所の重大事故での住民の避難を決める際、SPEEDIの予測データは利用しないことを決め、SPEEDI問題は過去の話となりつつある。

 ただ、中央の混乱ぶりや内堀氏の判断の真相なども含め、なぜ拡散予測データが住民避難に活用されなかったのか、あらためて検証すべきではないか。

 本誌でもたびたび紹介している通り、新潟県では福島第一原発事故の原因、健康・生活への影響、避難に関する3つの検証委員会を立ち上げ、独自検証を進めている。原発事故被災県の本県こそ、第三者による検証を積極的に行うべきだ。

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