【福島】【会津】伊佐須美神社「再建」が進まないワケ

〝名物宮司〟死去で30億円計画頓挫


会津美里町の伊佐須美神社が不審火で全焼してから10年が経過した。この間境内には仮社殿が建築されたが、新社殿建築の動きはなかなか見えてこない。なぜ本格再建が進まないのか、過去の経緯を振り返りながらリポートする。


 6月15日、会津美里町の伊佐須美神社外苑で「第39回あやめ祭り」が開幕した。ここは150種10万株のあやめが植えられている東北随一のあやめ苑として知られており、7月5日までの期間中は毎年約30万人が訪れる。開幕初日は雨天だったが、周辺に露店が並び、朝から大勢の人が足を運んだ。

 祭りが終わって翌週の7月12日には同神社最大の祭り「御田植祭」が催される。今年は国重要無形民俗文化財に指定されたこともあり、例年以上のにぎわいが期待されている。

 そんなお祭りムードの境内に、ひっそりと「御社殿造営復興奉賛のお願い」という看板が立てられている。実は同神社、2008(平成20)年10月に不審火で社殿が全焼し、10年以上経ったいまも本格再建が始まらず、寄付を募っている状況なのだ。

 火災は2008年10月29日、18時55分ごろに発生した。本殿、神楽殿、神饌所の3棟、合わせて545平方㍍を焼失。離れた場所からも炎と黒煙が立ち上がる様子が見える大火事だったという。会津美里警察署の調べによると、火元は本殿と神楽殿を結ぶ渡り廊下付近だった。

 同神社では同年10月3日にもお守りやおみくじを扱う授与所が全焼する火災が発生していたが、出火原因は特定されなかった。そのため町内ではその原因についてさまざまなウワサが飛び交い、会津美里署では放火の線も含め神社関係者などをしつこく捜査していたようだが、「結局現在まで犯人は分かっていない」(同神社の氏子)という。

 伊佐須美神社は会津美里町(旧会津高田町)の中心部に位置し、会津若松市中心部から車で20分程度の距離にある。

 祭られている祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、大毘古命(おおひこのみこと)、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の四柱。

 同神社ホームページによると、その成り立ちは以下の通り。

 2000年以上前の崇神天皇の時代、諸国鎮撫のために遣わされていた四道将軍・大毘古命とその子・建沼河別命が偶然現在の会津地方で行き会った。古事記では「これが『会津』という地名の起源になった」と記されているが、このとき、親子で天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)に向かい、伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎したのが同神社の始まりと伝えられている。

 その後、博士山、波佐間山(現・明神嶽)などを経て、560年に現在の地に鎮座した。以来大毘古命、建沼河別命親子も合祀され、1400年以上にわたり祭られている。

 そのため古くから東北を代表する社格が高い神社として扱われ、神社本庁が直接宮司を任命する「別表神社」に指定されているほか、会津地方の中で最も社格が高い神社であることを示す「岩代国一之宮」に認定されている。会津藩主から崇敬される「会津総鎮守」として多くの篤信者を抱え、「八方除東北総鎮護」としても知られる。

 そんな同町にとってシンボル的存在の神社だけに火災で全焼した衝撃は大きかったのだが、不可解なのはその後の対応だ。ひとまず社殿が建てられていた場所に寄付金で仮社殿が建築され、すぐに本格再建が進むのかと思いきや、火災から10年以上経過した現在まで全くそうした動きが見えないままなのだ。

 なぜ本格再建は進まないのか。同神社の総代や氏子、近隣住民などに話を聞き、その理由をあらためて探ったところ、2つの事情が見えた。

 1つは資金不足だ。同神社の内情に詳しい事情通によると、建物は火災保険などに入っていなかったため、寄付を募って再建を果たさなければならなくなった。前述した「御社殿造営復興奉賛のお願い」という立て看板はそのためのもので、1枚3000円の祈願成就の紙を用意し、奉納を呼び掛けている。

 事情通が、現状をこう教えてくれた。

 「社殿は伝統的な技術により建築されるため、コンパクトな仮社殿ですら数千万円の費用がかかったと言われています。『岩代国一之宮』として恥ずかしくない社殿を再建するとなればさらに数億円規模の資金が必要となりますが、それだけの資金を地元の総代や氏子だけで負担するのは現実的に不可能です。かと言って、県内外の企業・個人に協力をお願いするには、最低限、『こんな形で再建する』という青写真が必要となります。そのため、現在はどのような社殿にするか、内部で検討しているところです」

轡田前宮司の〝暴走〟

 2つは前宮司の轡田勝暎(本名・勝晶)氏が進めていた新社殿計画が頓挫したことだ。

 火災後、轡田氏は新社殿として、古代の出雲大社を連想させる高さ32㍍の「天空にそびえ立つ神殿」計画をぶち上げた(写真)。境内にイメージ図を掲げ、寄付を呼び掛けていたので、見かけた人も多いだろう。

 総工費は約30億円。暴走気味の計画のように感じられるが、なんと「会津にこういう神社ができるのは面白い」と協力する有力スポンサーが現れ、神社本庁に計画を提出するところまでこぎ着けたという。

 ところが、神社本庁は総工費が高すぎること、社殿が他の神社と比べ巨大すぎることに難色を示し、この計画を認めなかった。実現性がなくなると同時に有力スポンサーは離れていき、寄付も数千万円程度しか貯まっていなかったため、新社殿計画は完全に停滞してしまった。

 そうした中、先頭に立って計画を進めていた轡田氏が2015(平成27)年11月に死去。翌2016年、西会津町の松尾神社宮司を務めながら伊佐須美神社の仕事を手伝っていた沼澤文彦氏が宮司代務者に就任し、それを機に責任役員会の場で今後の方針をあらためて話し合った。

 その結果、「天空にそびえ立つ神殿」計画の白紙撤回と、焼失以前の社殿を模した〝現実的な〟新社殿計画を立案・建設することが正式に決定された。その後は沼澤氏を中心に計画の策定が続いている。

 要するに、火災保険に加入しておらず資金不足になったのに加え、轡田氏の壮大すぎる計画に振り回され、結局一から計画をやり直すことになったため、ここまで再建に時間がかかってしまった、と。

 死者に鞭打つようだが、近隣住民や商店主、氏子に話を聞くと、轡田氏はとにかく個性的かつ高圧的な性格だったようで、10年経ったいまも「上から目線だった」、「祈祷をお願いしたらかなり高い金額を請求され、泣く泣く支払った」などのエピソードが続々と出てくる。

 ちなみに、同神社で火災が発生した直後に発売された本誌2008年12月号「会津美里町 伊佐須美神社『全焼』で表面化した宮司と町民の軋轢」という記事でも、轡田氏がとにかく地元で評判が悪いことを報じていた。

 記事の中では、ある商店主が次のように話していた。

 「それまで開いていた楼門が、数年前から締め切った状態になってしまったのです。以来、楼門には白い布がかけられ、開いたことは一度もないと思う。そうなると、楼門の向こうにある本殿をお参りするには、門の脇に設置された扉から出入りするしかないが、事前に予約した人でないと中に入ることは許されないのです。ですから予約せずに来た人は楼門の前に置かれた賽銭箱に向かってお参りするしかない、と。観光客の中には『どうして本殿を参拝できないんだ』と怒って帰る人も多いと聞いています。地元の観光バス会社も、わざわざ予約してまで来る必要はないと、伊佐須美神社から足が遠のいているみたいです」

 轡田前宮司が楼門を閉鎖した背景には、神社としての社格を重んじようとしたことがあるようだが、気軽に入れた神社が閉ざされたことで、地元住民は大きな不満を持つようになった。こうした経緯があったためか、周辺では「轡田氏が火災保険金目当てで自ら放火したのではないか」というウワサも流れていたほどだというから、決定的な亀裂が入っていたのだろう。

 一方で、轡田氏はPR戦術に長けており、首都圏からの観光客に狙いを絞って、東京の大手代理店と契約、鉄道の車内広告や週刊誌・月刊誌、関東ローカルのテレビ局に積極的に広告出稿して、参拝者増加につなげた実績を持つ。「上から目線な点はあったが優秀な人で、神社のために積極的に動いてくれた」と擁護する声も聞かれ、その評価は人によって大きく異なりそうだ。

新宮司の評判は上々

 さて、そんな良くも悪くもクセが強い轡田氏の後任者として、6月1日からは前出・宮司代務者の沼澤氏が正式に同神社の宮司に就任した。6月15日のあやめ祭り開幕式の席上では渡部英敏町長から紹介され、来場者にあいさつをした。

 気になるのは神社運営の手腕だが、すでに宮司代務者時代から役員らと連携して、轡田体制からの脱却と効率化に努めてきた実績がある。例えば不評だった楼門への白い布を取り払い、地元住民も観光客も自由に入れるようにした。また、月刊誌『文芸春秋』に年間300万円で掲載していた広告を「広告効果が得られない」として見直した。沼澤氏が書く御朱印は御朱印帳を見開きで使う迫力あるスタイルで人気が高く、5月の連休には多くの人が訪れたという。御朱印帳ブームが広がっている中で新たなファンを生みつつある。

 地元住民の評判は上々で、轡田氏のころより確実に雰囲気が良くなっているように感じられた。

 宮司就任に先立って、沼澤氏を訪ねて新社殿再建の現状を尋ねたところ、次のように抱負を述べた。

 「より多くの方から寄付をいただけるように、現在は新社殿建設に向けて準備を進めている段階です。正直まだ図面もできていない状況ですが、前向きに取り組んでいきたいと考えています」

 前述のあやめ祭り、御田植祭に加え、初詣にも毎年18万人が訪れる同神社。町などが新社殿建設を直接支援するのは政教分離に反するので難しいだろうが、交流人口増加という意味では大きな可能性を秘めている。それだけに、沼澤宮司には地元住民と良好な関係を保ちつつ、全国にアピールできる新社殿を建設することが求められており、その肩にかかる期待は大きい。


月刊『政経東北』のホームページをリニューアルしました↓


facebook

https://www.facebook.com/seikeitohoku

Twitter

https://twitter.com/seikeitohoku

よろしければサポートお願いします!!