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5つの輪っかへ思うこと
おはようございます
ヨガとは関係ないこともちょっと書いてみようとおもうのです。
昨年延期された東京オリンピック。
今年は開催できるのかなぁと、私はやっぱり気になってしまいます。
幼いころから、陸上や運動、スポーツをやるのも見るもの好きでした。
カールルイスに熱狂し、ブブカに釘付け。山下に涙しました。
ロス五輪の開会式の音楽を聴くと今でも気分が沸き立ちます。
そんな中でも体操競技は男女とも食い入るように見ていました。
難易度の高い技に、日本人の名前がついている。そんなことに、誇らしさや憧れを抱きました。
そんな人になりたいとは思わないのですが、
そこまで自分を鍛えて、超人的なパフォーマンスを自然な表情でこなしていく姿。そして、失敗と成功のギリギリの境界に立つ姿勢。
それは、誰かの生活の役に立つものかどうか?
社会的な意味のある事なのかどうか?
国際問題や、社会問題を解決することなのかどうか?
誰かが5回転宙返りを決めたことで、どこかの紛争が静まるのかどうか?
そんなことを一切疑問視することなく、華々しい祭典としてオリンピックを楽しんできました。
その裏側に何があるかなんて考えもしませんでした。
今、時代はあらゆることの意味を問い正そうとしているようにも思えます。
環境問題、紛争問題、そして感染症問題。
人の経済活動、人の環境活動、人の健康問題。
どれもが、人を中心とした、「正しいこと」の標準を作り出そうとしているように思える。
全員で足並みそろえようとしている。
みんなでゴールテープを切ろうとしている。
でも、勝とか負けるとかではなくて、
その人が、やりたいことのパフォーマンスを最高に高める努力を
私は尊重したい。
それが例え今の時代でだれも理解できないものであっても
変態といわれても
突き詰めていく美しさが
失われない社会であってほしい
それが例え生産的でなくても
社会の役に立っていそうになくても
それが誰も理解できなくても
ムーンサルト中に瞬きを10回することを目標にするような
そんなバカげた取り組みを
私は尊重したい
だから、私はそんな突き詰めた人たちの祭りを
楽しみにしています。
親父は前回の東京オリンピックの役員をやってたそうです
今年生きてたら、一緒に見たかったな
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