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12月8日

その昔 釈迦が悟りを開いたとされる日

その昔 ジョンレノンがファンの銃弾に倒れた日

昨年の今日 父が他界した日


昨年12月8日に父・泰夫はその生涯を閉じた。

僕の手の中で。

本当に自然と。

悲しみを伴わない。旅立ちという感覚が残っている。

そして、父という存在は「光」であったと。

光の粒そのものが父であったと。

その時鮮明に意識した。

そうして1年がたち。

忘れっぽい私は、やはり父を感じている。

それは霊というものではまったくなく、

光を感じるように、父を感じる。

何か語ってくることはないけれど

ただ、じっと照らされている感覚。

こころの奥の方まで光が届くような感じがするから

誤魔化しや、嘘がつけない。

父が亡くなってから、正直になったかもしれない。

やりたことへ、もっとまっすぐになった気がするし、

あまり、人への遠慮をしなくなったような気もする。

やり残すことに少し抵抗感があって、

思ったことは、やってしまいたいという感覚が強い。

理屈っぽさが減ったから、口数が減ったかもしれない。

ひょっとしたら、そうしたことから

周りの人が、私をどう思っているかなんて言うことを気にしなくなったから

逆に、みんなも私のことが判りづらくなったかもしれない。

息子が5歳となり、

どんどん自己主張も増えながら、

幼稚園での人との関係性からの悩みを感じ始めていることも見る。

悩んだ息子をみて

良いアドバイスが湧かない。

子育て、教育に、セオリーやメソッドはやっぱりない。

小さな一言が、棘となって心に刺さる事だってある。

だから、自分にできるのは、子供の傍でできるだけ綺麗に光ること。

あまねく一切に、分け隔てなく、自分のエネルギーを光として広げていくこと。

自分自身が喜び、楽しみ、そして幸せであること。それを表情で、言葉で、行動で体現し続けることしかないなと思う。

たくさんの日々の喜びを、喜びとして話す。

感謝を、その言葉で伝える。

愛を、語る。

それが、何の役にたつことなのか判らないけれど、

父が自分にとっての光なのであれば、きっと自分にもできるはず。

輝きをもっと清らかにしていこう。

これからも、まだずっと、光として いてね

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