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ヨガとおちつき

昨日は「こだわり」について思うことを綴ってみました。

目標を持つこと、決めたことをやり続ける、やり遂げることはとても大切な心の強さだとも思っていますから、こだわる事、継続することを否定する想いはありません。

ただ、その心の強さに、生活は疲れ果ててしまってはもったいなぁと感じるのです。

さて、今日は「おちつき」について思うことを書いてみたいです。さて、どんな着地になりますやら。

落ち着きの逆はなんだろう?

落ち着いている状態を経験したことはありますか?

最高に落ち着いた状態というは、「睡眠」かもしれませんね。

身体も、心も、あるいは脳も落ち着いている。

これをリラックスと呼ぶのかもしれません。

ですので、リラックスしなさい、リラックスする、という能動的な活動中は本来の「リラックス」はやってこないのではと思います。

寝ることを努力はできず

寝やすい環境づくりは努力できる

そしてその「寝る」というは、その努力の結果やってくる状態。

落ち着きというのも、そういった「やってくる状態」を表すのではと思っています。

落ち着きの反対はなんでしょう?

「慌てる」「焦る」「強張る」「緊張する」といったものでしょうか。

いずれも、少し重心が高く、つま先でずーっと立っているような感じでしょうか。

どうすれば落ちつくのか

子供のころを思い出してみて下さい。

ハサミでものを切ろうとしたとき、あるいは包丁で何かを切ってみたとき、自転車に乗ろうとしたときどれほどの緊張感や怖さを感じたでしょう?

人にあいさつするとき、初めての場所に行くとき、初めての学校へ行くとき、初めてのランドセルを持つとき

全てに「緊張感」があったと思うんです。

その横で、親や先生が繰り返し唱える言葉

「落ち着いてね」「ゆっくりね」


いつしか、そんな緊張感も忘れ

当たり前のことのように、ランドセルを持ち(投げ飛ばし)、自転車に乗り、友達を遊び倒し、ハサミもナイフも怖くなくなっています。

恐怖や緊張は過ぎ去り、安心や落ち着きがやってきています。

落ち着きはやってくる

つまり、初めての経験は「落ち着けない」のです

また、うまくできないうちは「落ち着けない」のです

それは、身体が緊張していたり、思うように体が動いてくれないからです

思ってるんだけど、動かない

判ってるんだけど、できない

認識(脳)してるんだど、行動(身体)できない

こうした、想いと行動の乖離があるうちはいつまでも「落ち着き」とう状態はやってきにくいのです

ではどうすればいいのか

まずは、「経験する」というのが大切です。

経験もしないで、落ち着いているのはとても難しいのです。

プロ野球のバッターボックスにはいったことはありませんが、初めて入る時には落ち着いていることなんてできないでしょう。しかし、練習を山のように積んで、もうどんな球でも、どんな声援にも応えられるような体験を積んでいくとその場でおちついていられるようになっていくのでしょう。

日常では、すでに経験的に理解したことに対してはその難易度にもよりますが比較的落ち着いて対処できるようになるでしょう。

ですので、とても大切なことは「経験」なのです。

そして、繰り返し繰り返し練習(経験)することです。

生活は毎日違う

朝日が上がり、目覚め、日が沈み、眠る。

こうした毎日の中に起こる出来事は、日々変化に富んでいますね。

人は一日として同じ日はありません。

まして、一日として同じ体を経験することはありません。

だから、毎日新鮮であり、新体験の連続なのです。

ですので、落ち着いているということも、難しいのです。

だって、乗りこなすべき身体が、昨日と異なるわけですから。

ですので、今日の自分の心の様子や体の様子をちゃんと点検しておくことが大切です。

自転車だって、車だって、その日の調子があります。

ブレーキだって、タイヤの状態だって、よく理解してから乗らないと思ってもいない事故につながることだってあるのです。

それが、何も点検なしにスタートしてしまうから、「こんなはずじゃない」ことが増えていくのです。

毎日の点検、そしてこれまでの経験。

この両輪があって、「落ち着いた時間」に繋がっていくのです。

落ち着きは、成るものではなく、やってくるもの。

丁寧さへの努力がもたらす心と身体の一致した状態です。


さぁ、丁寧に今日のこころとからだを点検しましょう。

それが、朝の瞑想の役割です。





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