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モノのもつパワー・フルート編その1

私たち母娘とフルートとの出会いは北京でした。最初の北京駐在は娘が9か月の頃から4歳7か月ぐらいまで。娘が3歳ぐらいの頃、お隣にドイツ人のご家族が引っ越してきました。そのご家族にも4歳ぐらいの女の子がいて、お互い一人っ子同士、仲良くなりたいな、っと思い、話しかけたら、その女の子のママが、フルートを始めたので、一緒に子供たちを預けて習いませんか?っと誘われました。

私は楽器はピアノとほんの少しのバイオリンだけで、フルートは一度も触ったことがなかったけれど、娘のお友達が近所にできるなら、という思いで、フルートを始めたいと夫に伝えたら、お誕生日プレゼントとして、私にYAMAHAのフルート買ってくれました。

当時、ママはまだまだ若くて元気で、独身だった妹と一緒に、香港に旅行に行くことになっていました。夫が横浜の実家に送ってくれたフルートをママが、スーツケースに入れて、香港まで持ってきてくれたのです。(あー本当に昨日のことのよう…)今でも諦めていないけど、妹は当時から歌手を目指していて、香港のパワースポットのお寺に願掛けに行きたいということで、私も行政書士試験を受けたりしていた頃で、合格祈願をかねて、お祈りしに行きました。

https://www.travel.co.jp/guide/article/34380/

しかし、なんと、私は、抱っこ紐に娘を抱えていたために、お寺の石畳の階段で、まさかの転倒。足をひねり、みるみるうちに腫れあがり、まともに歩けなくなってしまいました。そういう時は、ママは決まってゲラゲラ笑います。こんな山に連れ出した妹と、デリカシーなく人の失敗を笑うママにカチンとしながらも、娘がかすり傷一つ負わなかったことを誇りに、何とか立ち上がり、この足でも楽しめる場所はどこだろう、っと3人で話し合った結果、ペニンシュラホテルでアフタヌーンティーを頂くことにしました。

https://www.peninsula.com/ja/hong-kong/hotel-fine-dining/the-lobby-afternoon-tea

左足が、見る間にすごい腫れてはいたけれど、座って美味しいお茶とお菓子を頂くことはできるのです。とりあえず、ママと妹とも和解して、痛い痛いと言いながら、女子4人で優雅な午後を楽しみました。

そんな珍道中の香港旅行で受け取ったフルートは、その後、娘と私にとって大切な楽器になりました。というのも、4歳の夏に東京に戻り、かねてから娘に習わせたいと思っていたスズキメソード音楽教室が自宅から徒歩圏内にあることが分かり、そのお教室で習うことができる楽器、ピアノ、バイオリン、フルート、チェロの中から、どの楽器を習いたい?っと娘に尋ねたら、迷わず『フルート』を選びました。

そう、モノのもつパワー・算盤編と、多分、同じ思考回路で、家にあったから、『フルート』を習いたいと言ったのだと思います。身体が小さい子供でも吹けるU字管フルートを購入して、習い始めました。

モノのもつパワー・算盤編
https://note.com/seikatsu_no_chie/n/n937dea243ae3

娘が8歳の時に北京にまた戻ることになったものの、引越し前にコロナ禍となり、フルートのレッスンもオンラインに切り替わっていたために、2度目の北京駐在中も、娘は休むことなく、オンラインで、スズキメソードの同じ先生に習う幸運に恵まれました。

10歳ぐらいになると、U字管フルートが身体と釣り合わなくなり、私のフルートを使用し始めました。

そんな、ある日、それなりに練習して上手に演奏できるようになった曲を、北京と横浜をオンラインで繋いで、ママに聞かせたところ、正直で感の鋭いママは、孫娘でも遠慮することなく『なんか、壊れたフルートの音がする』といって、娘を泣かせてしまいました。

私は、相変わらず酷いことをいう毒親だと怒りつつも、よく見ると、確かに、フルートの胴部管の一部分が大きくへこんでいるではないですか!?

びっくりして、娘に聞くと、思い当たらないと言います。そこで、夫に尋ねたところ、洗面所においてあったフルートを誤ってドアに挟んでしまったとのこと。確か、2022年3月頃だったと記憶しています。

2020年6月から北京に引越し、2022年夏に一時帰国するまでの2年間、一度も帰国することができなかったけれど、やっと2022年の夏に一時帰国できた際、壊れたフルートを職人さんに直してもらい、本帰国して落ち着いたら、新しい娘用のフルートを購入することにしました。

2022年夏は、ママとの最後の夏になってしまったわけですが、ママの家でも職人さんに直してもらったフルートで娘はオンラインレッスンを受けました。

フルートの先生から、私のママにまで、髪の毛に良いということで、白ゴマを頂いたりしていたので、ママに先生にお礼を言って、っと言ったら、当時抗がん剤治療中だったママは、『先生、見て下さい、こんなに黒い髪の毛が生えてきています。お互い元気に頑張りましょうね』っと、パッと被っていたカツラを外して、先生に生えてきた髪の毛を見せていました。

娘としては、びっくりな行動でしたが、先生にママの生命力と生きる情熱が伝わった瞬間でした。その後、2度の骨折したことで、ママは10月に70歳の若さで天に召されました。ママとの最後の夏についてはKindleにまとめました。

『ママへ』
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CGPL4MTG

(その2につづく)

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