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I amコミュニケーション難民

聴いたあと歌詞がストレートだったのでインスピレーションが「コミュニケーション」へとつながった。

정국 (Jung Kook) 'Seven (feat. Latto)'を聴いていく中で私たちが日本で暮らしていてどれだけ感情を隠しているのかについて考えさせられた。簡単にいうとこの曲は「1週間中君としてたい」というド直球な曲。

私たちはきっと大半が感情を隠すか周りに合わせるか共感するふりをするかなのではないかと感じた。そういう風にしなきゃと思ってる人たちが多いのではないか。と勝手な推測。

なぜ、いつからこんなにコミュニケーションがわからなくなったのか

男女の話からは少々ずれるが
例えば相手に何かを感じても言ってないであるとか本人には言わない、だからほかの人に言う→そしたら愚痴のようなかたちに変わる。考えただけでもかなり陰湿だ。学校生活で社会人になってもずっとついて回る。そう感じることが多々ある社会かもしれない。陰湿に埋もれて生活するうち慣れで心地よささえ感じるかもしれない。(いやだ、そんなのはいやだ)

一見生きづらさを感じる社会でもその都度考え方を変えていけるのが理想かもしれない。普段率先してコミュニケーションしない人でも急にコミュニケーションを図ろうと意気込んで→不器用ゆえに→言い方伝え方がわからないから言い方きつくなって相手を傷つけてしまう。そんな可能性もあるだろう。もうコミュニケーション難民だ。

ただそういうのも魅力的で長所にもなる。内に秘めてる優しさが行動で現れると心動いたりもするだろう。ありのままがいいのかもしれない。

アーティストの魅力は”コミュニケーション先生”でもある

jungkookのSeven (feat. Latto)という曲は1週間の間中、君としてたいという曲というのは冒頭でも話したがアーティストたちは様々な「こうあっていいんだよ」を見せてくれる気がする。本当にそうあっていいと思う。
そこから広がる背景に目を向けたとき自分自身の気持ちは抑圧しすぎると病へつながると感じるきっかけをつくる。と同時に気を付けようと思う。

これは男女のどうこうということ含め「気持ち=心」の話。一方だけでなく相手ありき双方のやりとりが噛み合ったり譲歩したり理解したりの繰り返しで成り立っていき情をはぐくむのではないかと感じる。

ぶつかることがあっても仲直りできるのも私たち。生活の中の一瞬一瞬は伝えたことによって何かが動き変化するかもしれない。どんなことでもきっと時間がある限り心穏やかな方へ流れていくと信じてる。

いつどこでなにがどうなるかわからないので

"Seven"を聴いてモチベーション上げて好きな相手にも「すき、」と気軽にまっすぐ伝えたいと思う。そして嫌がられない関係を自負できれば「したい」ときちんといいたい。

メロディが醤油なら歌詞はお寿司だ。ワサビは人生のエッセンス

自分自身を解放できる自分でいよう。フリーダムを自分の心へ持とう。
※そしてこの時期(7月、8月)のお寿司はアニサキスに遭遇しないためできれば避けよう。気を付けよう。

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